『續清水港〈清水港代参夢道中〉』@池袋新文芸坐(16/9/26(mon)鑑賞)
引き続き、本日の映画2本目『續清水港〈清水港代参夢道中〉』@池袋新文芸坐に劇場入りしました。1940年公開。戦前公開のタイムスリップもの?…と聞いてるんですが、さて。しかし、とうとう戦前の映画まで手を出し始めちゃいましたよ……。#fr16_n
— 義忠@C98月曜 南ウ40「物語工房」 (@yoshitada_n) 2016年9月26日
『續清水港〈清水港代参夢道中〉』観終わりました。……本当に「タイムスリップ森の石松」だった(爆 真珠湾攻撃の前年(1940年)に公開された映画なんだけど、題材の現代性からか、あんまり古く感じない。まぁ、落ちの荒っぽい急転直下ぶりとかに、時代性を見てもいいんですが。#fr16_n
— 義忠@C98月曜 南ウ40「物語工房」 (@yoshitada_n) 2016年9月26日
『續清水港〈清水港代参夢道中〉』:『森の石松』の舞台の公演初日を目前にして、出来に納得いかない演出家(片岡千恵蔵)は、秘書(轟由紀子)にも当たり散らした挙句、事務所のソファーでふて寝する。目が覚めると、そこは江戸時代の清水港。なんと自分自身が森の石松になっていた! #fr16_n
— 義忠@C98月曜 南ウ40「物語工房」 (@yoshitada_n) 2016年9月27日
『續清水港〈清水港代参夢道中〉』:自分が昭和の御代からやって来たと話すが、信じてもらえず(当然だが)、周囲からは可哀想な人扱い。挙句に気を廻した親分の清水の次郎長から、四国金毘羅様の代参を持ちかけられる。しかし、史実では、その代参の旅の中で、斬られて死んでいるのだ!#fr16_n
— 義忠@C98月曜 南ウ40「物語工房」 (@yoshitada_n) 2016年9月27日
『續清水港〈清水港代参夢道中〉』:嫌がる石松だが、親分の命令は絶対。しかし、秘書そっくりの許嫁おふみから、自分と一緒なら、史実の筋立てとは違って助かるのでは、と言われ、しぶしぶふたりで東海道を西へ。しかし、気付けば、着々と史実のイベントをこなしていて…というお話。#fr16_n
— 義忠@C98月曜 南ウ40「物語工房」 (@yoshitada_n) 2016年9月27日
『續清水港〈清水港代参夢道中〉』:まずタイトルですが、戦前の初公開時のタイトルが『續清水港』で、戦後に再公開された時のタイトルが『清水港代参夢道中』。自分が観たのは戦後版なんですが、戦前版とどう違うのかは不明。#fr16_n
— 義忠@C98月曜 南ウ40「物語工房」 (@yoshitada_n) 2016年9月27日
『續清水港〈清水港代参夢道中〉』:おふみが結構積極的だったり、役者の芝居や演出にあまり古臭さは感じない。ラブシーンがなかったり、残酷描写は皆無(斬り合っても血は出ない)など、レギュレーション的に時代感はありますが、ネタが元々ユーモア・パロディなので違和感はないです。#fr16_n
— 義忠@C98月曜 南ウ40「物語工房」 (@yoshitada_n) 2016年9月27日
『續清水港〈清水港代参夢道中〉』:タイムスリップのきっかけは、結局、「ただの夢」なので、これを「SF」と呼んでいいのかは、『君の名は。』をSF扱いしていいかどうか以上に微妙なんですがw、物語機能的には、「タイムスリップもの」と呼んでいいと思います。#fr16_n
— 義忠@C98月曜 南ウ40「物語工房」 (@yoshitada_n) 2016年9月27日
『續清水港〈清水港代参夢道中〉』:「タイムスリップもの」ことに過去へ飛ぶタイムスリップものの物語機能としては、「語り直し」ですね。一度、定まった「物語」を別視点で語り直す。更に巷間に介した「ご存知もの」の史実や物語が題材なら、「パロディ(批評)」性がそこに生じる。#fr16_n
— 義忠@C98月曜 南ウ40「物語工房」 (@yoshitada_n) 2016年9月27日
『續清水港〈清水港代参夢道中〉』:この時代、60年代くらいまでの日本人は、次郎長ものが大好きだった(70年代になるとぱったりなくなる)ので、「森の石松の金毘羅代参」と言うと説明不要だったのだけど、それでも浪曲森の石松を流して、状況のガイドをしてくれるw #fr16_n
— 義忠@C98月曜 南ウ40「物語工房」 (@yoshitada_n) 2016年9月27日
『續清水港〈清水港代参夢道中〉』:例えば、代参出立を次郎長一家は大喜びで祝うんだけど、浪曲では哀しげにこれが死出の旅路となることを歌い上げ、石松もげっそりw これは観客一般の視点と一緒で、メタ的な視点操作が行われ、語られ切った既存の物語の再生が行われているんですね。#fr16_n
— 義忠@C98月曜 南ウ40「物語工房」 (@yoshitada_n) 2016年9月27日
『續清水港〈清水港代参夢道中〉』:と同時に、これが「森の石松」ものである以上、イベントはこなさなければならず(お約束のイベントをやらないのでは、観客はガッカリだ)、オリジンから離脱する歴史改変の斥力より、オリジンに準ずる引力の方が作中では強くなりがちで。#fr16_n
— 義忠@C98月曜 南ウ40「物語工房」 (@yoshitada_n) 2016年9月27日
『續清水港〈清水港代参夢道中〉』:この映画では結局そこで終わってて、歴史改変までは踏み込みません。言うなれば、現代人がコスプレして、ツッコミ入れながら小芝居演じてるところまでなんですね。私たち日本人が歴史改変の概念を手に入れるのは、まだ先の話なのか……。#fr16_n
— 義忠@C98月曜 南ウ40「物語工房」 (@yoshitada_n) 2016年9月27日
『續清水港〈清水港代参夢道中〉』:まぁ、本邦におけるタイムスリップものの歴史には詳しくないので、これより前にもっと高度なことやってる作品もあるのかもしれませんが。それこそ、江戸時代の歌舞伎や浄瑠璃で、いろいろやり尽くしてるとも伝え聞くしw #fr16_n
— 義忠@C98月曜 南ウ40「物語工房」 (@yoshitada_n) 2016年9月27日
『續清水港〈清水港代参夢道中〉』:ちなみに物語途中から一行に浪曲家が合流して、それで浪曲森の石松が誕生したという展開になってます。「観る者」「観られる者」/「語り手」「語られる者(登場人物)」の軸線が多層に引かれてる。その意味でもメタ視点を強く意識している作品です。#fr16_n
— 義忠@C98月曜 南ウ40「物語工房」 (@yoshitada_n) 2016年9月27日
『續清水港〈清水港代参夢道中〉』:まぁ、何と言うか、古い邦画の地層を掘り返すと、「近代」や「現代」に地続きで接続する映画が、こうしてぽこぽこ出てくるわけですよ。こういう映画を観ると、現代人の我々が誇る「現代性」とは、一体何なのだろうと、考え込んでしまいますね。#fr16_n
— 義忠@C98月曜 南ウ40「物語工房」 (@yoshitada_n) 2016年9月27日