『図々しい奴/続・図々しい奴』@ラピュタ阿佐ヶ谷(16/5/8(sun)鑑賞)
本日の映画2本目『図々しい奴』@ラピュタ阿佐ヶ谷に劇場入りしました。1964年公開。柴田練二郎原作、谷啓主演、喜劇映画の名匠、瀬川昌治監督。これは東映作品ですが、なんか61年に松竹でも同じ原作で撮られてるんですよね。よほどヒットした原作なんでしょうか。#fr16_n
— 義忠@冬コミ申込中「物語工房」 (@yoshitada_n) 2016年5月8日
『図々しい奴』観終わりました。谷啓主演の戦前戦中を舞台にした立身出世物語。でも1964年公開で戦前の話って言ったら、ほんの一世代前の話だからね。時代劇ではなく、社会の現役世代にとっての青春物語として機能してたんだと思う。で、レビューの続きは、この後の続編の後に。#fr16_n
— 義忠@冬コミ申込中「物語工房」 (@yoshitada_n) 2016年5月8日
本日の映画2本目『続図々しい奴』@ラピュタ阿佐ヶ谷に劇場入りしました。1964年公開。前作『図々しい奴』の続編…というか、最初から前後編的な位置付けだったみたいですな。#fr16_n
— 義忠@冬コミ申込中「物語工房」 (@yoshitada_n) 2016年5月8日
『続図々しい奴』観終わりました。戦前戦中戦後を駆け抜ける青春ビジネス物語…谷啓なのに(^_^) 作中時間は20年くらいなのかな。過酷な時代を反映して、いろいろ厳しいエピソードをこなしながら、最後まで明るさを失わずに駆け抜けられたのは、谷啓のキャラクター性もあるよな。#fr16_n
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『図々しい奴/続図々しい奴』:レビューの続きは追ってやるとして、いろいろ調べてみると、柴田錬三郎の原作小説、新刊で入手不可なんだ。最新の文庫が出たのが1979年みたい。柴田錬三郎クラスの作家の長編でこの扱いって、日本の出版界はどうなってるんだ……。#fr16_n
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『図々しい奴/続図々しい奴』:昭和6年、岡山城下で親を失った少年・戸田切人(谷啓)と出会った城主の家系の御曹司・伊勢田直政(杉浦直樹)は、切人の図々しいまでのバイタリティに感じ入り、書生として引き取ることにする。#fr16_n
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『図々しい奴/続図々しい奴』:その後、長じて上京した切人は、直政の紹介で、和菓子の名門とらやに丁稚奉公することに。実はとらやの娘美津枝(佐久間良子)と直政は、かつて想い合いながら結ばれなかった間柄。その悲恋により、ともに不遇な人生を歩みつつあるふたりだった。#fr16_n
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『図々しい奴/続図々しい奴』:直政と美津枝のふたりに大恩と尊敬の念を抱く切人は、あれこれと気を廻すが上手くいかない。そうこうする内に、自堕落な生活を送る直政は本家から廃嫡され、それと引き換えにパリへと旅立つ。#fr16_n
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『図々しい奴/続図々しい奴』:旅立つ直政から1万円の大金と美津枝の身を任された切人は、一念発起して独立して羊羹メーカーを設立。持ち前の図々しさで、陸軍納入業者として急成長を遂げるが、調子に乗ったそこで食中毒を起こして倒産。さらに招集令状が届く……というお話。#fr16_n
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『図々しい奴/続図々しい奴』:ここまでが前編で、後半は軍隊生活を調子よく過ごして生き延びて、更に戦後のドサクサに紛れて事業家として成長する切人と、シベリア抑留となった直政を待ちながら結核で健康を失ってゆく美津枝の悲恋が描かれます。まぁ、青春大河ドラマですね。#fr16_n
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『図々しい奴/続図々しい奴』:さて、このお話の物語構造は、明確に2層に分かれてます。第1層は、直政と美津枝の美男美女の美しい純愛(プラトニック・ラブ)。まぁ、直政は女遊びが過ぎて廃嫡喰らってるし、美津枝もバツイチなんですが(^_^;; #fr16_n
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『図々しい奴/続図々しい奴』:それでプラトニックというのもファンタジーですけどね(^_^;; ただそのファンタジーを守るために、切人は必死に献身する。第2層として語られる彼の事業拡大への飽くなき追求は、すべてそこに奉仕するためにある。そう描かれる。#fr16_n
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『図々しい奴/続図々しい奴』:美しい主従関係なんだけど、美しすぎる。うがった見方をすると、原因と結果が逆で、欲望にまみれた自身の言動を正当化するために、主人の純愛を動機として利用したとも言える。そのために、純愛は守られねばならなかったのではないか。#fr16_n
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『図々しい奴/続図々しい奴』:直政の洋行中、主人の想い人という以上に、ひとりの女性として美津枝に惹かれていた切人に対して、美津枝はその愛を受け入れると申し出るが、切人は苦悶の末、それを断る。表層的には、主人への忠義を貫く名場面なのだけど、どうかな。#fr16_n
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『図々しい奴/続図々しい奴』:それを受け入れると、彼の世界は粉々に壊れてしまうから。…というか、主人の直政も、美津枝との関係に何の障害もなくなった瞬間、海外に逃げる(爆 この話に出てくる男どもは、こと恋愛に関する限り、ヘタレしかいねぇw 土壇場で綺麗事に逃げる。#fr16_n
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『図々しい奴/続図々しい奴』:人間が生きてゆくには、やはりどうしてもファンタジーが必要で、自分の剝き身の欲望をすべて直視して肯定できる強さを持てる人間は少ない。直政はその強さを少年の切人に見出したが、切人は強さを正当化する大義を、直政と美津枝に求めた。#fr16_n
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『図々しい奴/続図々しい奴』:さて、これはどちらが主人でどちらが従者だったのか。どちらが簒奪者でどちらが奪われたのか。どちらが善で、どちらが悪か……いやいや、こうやって人々は互いに「助け合って」あの厳しい時代を生き延びたのです。#fr16_n
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『図々しい奴/続図々しい奴』:物語を解釈するひとつやり方として、作中の登場人物も出来事も、すべて作者(ないし読者)の脳内での機能分担と成熟のプロセスと考えるやり方があって、その意味でこの物語が純愛の終わり(美津枝の死)と切人の妻の懐妊で幕を閉じるのは非常に意味深。#fr16_n
— 義忠@冬コミ申込中「物語工房」 (@yoshitada_n) 2016年5月8日
『図々しい奴/続図々しい奴』:動機を他者にアウトソースできた疾風怒濤の青年期を終え、父親として、己と家族の人生に責任を持つ円熟した大人になった時点で、この物語は役割を終えて幕を閉じるのだ。その構造を含めて美しい物語だったけど、残酷な物語でもあるよね。#fr16_n
— 義忠@冬コミ申込中「物語工房」 (@yoshitada_n) 2016年5月8日
『図々しい奴/続図々しい奴』:谷啓の愛嬌あふれるキャラクター性が、この残酷さをだいぶ誤魔化してくれてはいるけど、そうした美しさと残酷さを巡る映画だったとも言える。まぁ、切人の献身に素直に涙しててもいいんですけどね。観方によって、捉え方も変わる、そんな映画でした。#fr16_n
— 義忠@冬コミ申込中「物語工房」 (@yoshitada_n) 2016年5月8日