『芳華 Youth』@新宿武蔵野館(19/05/01(wed)鑑賞)
本日の映画2本目『芳華 Youth』@新宿武蔵野館に劇場入りしました。1970年代、中国の軍楽学校に入学した若者たちのきらきらした青春が、中越戦争の最前線でわやくちゃに台無しされる話……と聞いてますが、さて。#fr19_n pic.twitter.com/it1Qw5Fjf0
— 義忠@諸々活動中「物語工房」 (@yoshitada_n) May 1, 2019
『芳華 Youth』観終わりました。芸術が国家の所有物だった時代。党の宣伝慰問機関として設立された文工団に集った若者たちの、文革中の70年代半ばから、中越戦争とその後の文工団解散、そして現代に至る歳月を描く青春群像劇。きらきらな青春とその後の人生の残酷さが泣ける(号泣。#fr19_n
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『芳華 Youth』:軍の慰問団といっても文革期だからか、年長者は政治委員と団長しかおらず、残りは20歳前後までの若い男女。彼ら彼女らが日々修練を積んでいるのは、党のプロパガンダの歌舞音曲で、クラシックや流行歌謡ではない(作中、鄧麗君(テレサ・テン)の恋愛歌に皆が驚くシーンもある)。#fr19_n
— 義忠@諸々活動中「物語工房」 (@yoshitada_n) May 2, 2019
『芳華 Youth』:そうした若い彼ら彼女が集団で生活していれば、惚れた腫れたや喧嘩やいじめは日常茶飯事で、しかしそれも過ぎ去ってしまえば美しい思い出。……まあ、その美しさと、それでもそこで善人が貧乏くじを引いて去ってゆく残酷さと表裏一体なのだけれど。#fr19_n
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『芳華 Youth』:この映画の本当の美しさは、間違いなくそこにあって、不器用に傷ついて去ってゆく人々をこそ愛惜を持って描くことで、青春映画の美しさとは、ただ若さのきらめきをのみ描くことで完成するわけではないことを教えてくれる。#fr19_n
— 義忠@諸々活動中「物語工房」 (@yoshitada_n) May 2, 2019
『芳華 Youth』:映像表現的には、長廻し中心のショットが多用されて、序盤はそれが青春の美しさを効果的に描き出す。ただ、それがそのまま中越紛争の場面に入ると、軽装の歩兵分隊がベトナム軍の奇襲を喰らって右往左往する内に半壊するさまがFPS的に描かれることに(爆 #fr19_n
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『芳華 Youth』:この映画は中国軍系列の映画会社も制作に参加していることもあって、概ね現在の党見解に即して作られているのだろうけど、戦場の悲惨さは嫌というほど描くわりに、戦争の大義とかどっちが勝ったのかとかwに言及しないのはご愛嬌というか(苦笑 #fr19_n
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『芳華 Youth』:あと、敵であるベトナム兵の姿もろくに描かないんだよね。草むらの奥から激しくぶっ放してくる火箭が見えるだけで。この辺は、現代の観客に過剰に敵視とかして欲しくないんだろうけど、それは監督の意図なのか、党の方針なのか。#fr19_n
— 義忠@諸々活動中「物語工房」 (@yoshitada_n) May 2, 2019
『芳華 Youth』:毛沢東の死で文革も終わり、中越紛争も終結して、やがて文工団は解散させられる。国家の持ち物としての芸術だから、いらなくなるか持ちきれなくなれば、放り出される。大衆に根差さない芸術の危うさと言うか、日本でもどこぞの自治体が同じことやってるしなあ。#fr19_n
— 義忠@諸々活動中「物語工房」 (@yoshitada_n) May 2, 2019
『芳華 Youth』:時代の変動を生き抜いてきた人々の苦難やそれを乗り越えてきた人生の美しさを描くことは、必然的にその期間の政治や社会へ批判的に描くことにもつながる。この映画では「それは誰のせいだ」ということには器用に踏み込まずに、厳しい時代であったことを描いています。#fr19_n
— 義忠@諸々活動中「物語工房」 (@yoshitada_n) May 2, 2019
『芳華 Youth』:同時に、それでも異国の観客が自身の人生や青春を重ねられる普遍性と強度はある。不器用に生きる身近な人の人生を惜しむとともに、その美しさに憧れを抱くことはどこの国でもあるし、誰しも自身の人生の不遇にもせめて美しく在れかしと願う。そういう「美しさ」の映画でした。#fr19_n
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■監督フィルモグラフィ:馮小剛(フォン・シャオガン)(1958年~)