積読日記

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野口武彦『幕末不戦派軍記』

幕末不戦派軍記

幕末不戦派軍記

 この本を「小説」のタグで括ってしまうのは正しいのかちょっと自信はないのだけど、まぁ、著者本人が「小説」と言い張ってるのだから、「小説」ということで以下、話を進める。
 
 時は幕末、慶応元年(1865年)5月、第二次長州征討のために大坂まで西上した徳川家茂将軍一行の中に、武具奉行同心の御家人、弥次郎(矢部次郎)、喜多八(北村善三郎)、筒なし(筒井千之助)、関兵衛(中西関次郎)の4人組がいた。今でいう防衛省装備施設本部の木っ端役人であるこの4人、江戸徳川幕府開闢以来300年のボンクラを煮詰めたような見事なボンクラ揃いで、かかる国家危急存亡の秋(とき)にも関わらず、頭の中は喰うこと、呑むこと、あとは姫回り(風俗通い)ばかり。幕府と朝廷が長州征討の勅許を巡って紛糾し、大坂滞在がずるすると長引く横で、付け届けの途切れぬ役職である事をいいことに、昼間から連日のどんちゃん騒ぎ。
 心底、しょうもないこの連中、恐るべきことに実在の人物である。
 
 この連中、実際の史料では長州との戦端が開かれて前線のある芸州(広島)の本営送りにされて以来、歴史の波間に消え去ってしまうのだが、著者はこの連中に第二次長州戦争、鳥羽伏見の戦い、上野寛永寺彰義隊の戦い、大鳥圭介率いる旧幕歩兵隊と官軍の北関東攻防戦、会津戦争、そして五稜郭の戦いまで、戊辰戦争の地獄巡りをさせてボンクラ視点から語る明治維新を描いてみせる。*1
 それがまたこの連中、ボンクラの根性なしなので当然、将軍様よりも我が身が大事。楽な方へ楽な方へと腰が動くのだが、何の因果か、毎度、戦場のど真ん中にさ迷いこみ、悲鳴を上げて逃げ惑う。にも関わらず、これまた毎度、傷ひとつ負わずに逃げおおせるのだから、運がいいのか悪いのか。
 
「戦争」とは非常の出来事であり、さまざまな個人や政治集団がその全存在を賭けて激突する。
 従って、真面目に参加しない人間はとかく「非国民」扱いとされがちだし、まぁ、たぶんその通りなのだが、しかしはて、それは本当にいけないことなのだろうか。
 この連中、日本中が蜂の巣を突いたような大騒ぎの中、終始一貫して、ボンクラで、欲深く、調子が良くて、どこまでも不謹慎きわまりない。それは逆に目の前で何が起ころうと、この連中はひとかけらも精神性に影響を受けていないということでもある。戦場のど真ん中で銃弾砲弾が雨霰と降り注ぎ、秋霜烈日、文字通り血の雨が降る中、泣き叫んで逃げ回っても、そこから逃げおおせればけろりと元のボンクラに戻る。
 挙句に五稜郭戦を生き延びた後は、先に朝臣に潜り込んだかつての上司のコネであっさり明治新政府のお役人になりおおせる。思想も信条もない。あきれた平衡感覚である。
 しかし、このボンクラさは、どんな大戦争の最中であろうと、「人間」が「人間」として生きてゆくために喪ってはならないもののような気がする。
 
 勿論、徳川幕府滅亡の理由として、直参旗本8万旗が少なからぬ比率でこの手合いのボンクラ揃いだったことが大きくあったことは間違いない。せめて土方歳三のような「戦鬼」が一個連隊もいれば話は違ったろうが、残念ながら事実はそうではない。将軍慶喜自身、口先ばかりで肝心要なところで文字通り尻に帆かけて逃げ出すような人物だったのだから、家臣に多くは求め難い。
 だが、本書のあとがきにもあるように、この時代の主な「内戦」である南北戦争やパリ・コミューンなどと比べても驚くほど少ない犠牲で戊辰戦争が終息できたのは、旧幕臣の多くが「ボンクラ」で真面目に戦争なんかやってられないとばかりにころころと降伏を重ねたからだ。大体、最期まで兵を率いて戦った榎本武揚大鳥圭介らでさえ、「降伏しても命まで獲られまい」と高を括っていたくらいだから、こんな戦争で死んだ者は浮かばれない。
 無論、多くの戦争がそうであるように、この戦争で人生を捻じ曲げられ、踏みにじられた人々は数限りなくいたはずだが、旧幕臣達がもっと真面目に戦争をしていたらその規模はさらに膨れ上がっていただろう。
 そして戊辰戦争を終えた後、初期の明治新政府を支えたのは確かに旧幕臣達からなる下級官吏達だった。
 つまり「ボンクラ」にも、効用はある。
 世の中とは、実に良くできている。
 
 多くの英雄英傑が軍勢を率いて戦場で激突した戦国時代と比べて、テロと謀略と裏切りに満ちた明治維新の時代は、やはりどこかしら陰影が深い。
 と同時に、それとは逆に奇妙な軽薄さも感じるのは、一方の主役であるはずの幕臣がかくも「ボンクラ」揃いだったからだ。
 まぁ、戦争は真面目に考えなきゃいけないテーマなのだけど、真面目にやっちゃダメなんだろうな。
 ほどほどにボンクラな精神で向き合わなきゃ、やってられないほど悲惨なのだとも言えるわけなのだけど。

*1:鳥羽伏見の戦いのみ、別の単行本『幕末伝説』に収録。