『黒田騒動』@池袋新文芸坐(16/2/28(sun)鑑賞)
本日の映画2本目『黒田騒動』@池袋文芸坐に劇場入りしました。1956年公開。片岡千恵蔵主演。#fr16_n
— 義忠@冬コミ申込中「物語工房」 (@yoshitada_n) February 28, 2016
『黒田騒動』観終わりました。高度に完成した忠義は、叛逆としか観測されない。島原の乱直前、九州黒田藩で起こったお家騒動で、主家と敵対しつつ、黒田藩生き残りの道を必死に模索する筆頭家老・栗山大膳(片岡千恵蔵)の孤独な戦い。まぁ、「忠義」の概念を巡る戦いっつーか。#fr16_n
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『黒田騒動』:豊臣家滅亡後、関ヶ原の勲功で九州各地に封じられた旧豊臣系諸藩に、幕府が言いがかりをつけて順次廃絶に追い込んでいた時代……。九州筑前黒田藩では新しく藩を継いだ黒田忠之が、足軽からの出頭人・倉八十太夫を重用。大胆な藩政改革を推進する。#fr16_n
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『黒田騒動』:しかし、足軽を中心とした軍事改革や、幕府のご禁制に触れる大型船建造などに危うさを覚えた大膳は、主君を諫めるも、逆に切腹を申し付けられる。だが、主命の切腹を大膳は拒否。逆に忠之と倉八の失政を幕府に訴える。かくして、事態は幕府の裁定を招くこととなる…。#fr16_n
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『黒田騒動』:大型船の焼き討ちとか、大膳邸への砲撃とか、暗闘する忍者たちとか、アクションの見せ場は少なくないのだけど、クライマックスは幕閣の前での法廷政治戦。幕府と藩と九州のそれぞれ相矛盾する政治的利害のか細いパスを射抜いて主家の生存に繋げる大膳の策が山場となる。#fr16_n
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『黒田騒動』:その意味で、非常にマクロなレベルで繰り広げられる政治戦の物語で、幕府の国政レイヤーと忠之-十太夫ラインの藩政改革のレイヤーに、忠之の愛妾を介して浸透するキリシタンの謀略レイヤーがあって、それらすべてを見通して大膳がどのような手を打つか、という話になる。#fr16_n
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『黒田騒動』:そうした「忠臣の孤独」を描く話ではあるものの、社会(マクロ)の駆け引きが中心で、家庭(ミクロ)の話はほとんどないのね。家族は存在するし、大膳も家族への配慮もするのだけど、家族の問題に尺を取ることも、悩むこともない。徹頭徹尾、社会(マクロ)のお話です。#fr16_n
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『黒田騒動』:この時代はこれで「映画」として成立していたんだ、と驚くと同時に、テロだの戦争だのといったテーマの話でさえ、私的(ミクロ)な情緒レベルに引きずり下ろさないと観客が理解できないとでも言いたげな昨今の邦画の描き方って、ありゃ何なんだろうと考えざる得ない。#fr16_n
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『黒田騒動』:今の邦画は、それを非常に強固に繰り返すので、教科書レベルでメソッド化しているようなのだが、こうして昔は社会(マクロ)的視点や関係性のみを主軸にした映画も成立していたわけで、よくわからない呪縛からは、そろそろ解き放たれてもいいように思うのだが。#fr16_n
— 義忠@冬コミ申込中「物語工房」 (@yoshitada_n) February 28, 2016
『黒田騒動』:ともあれ、マクロで社会を見、多様な政治レイヤー間で相反する利害を結合させる政策を打ち出すのが、「政治」の役割なんだな、という映画でした。……まぁ、あと、そういう判断は、そうそう理解はされないよね、っつーな(-。-; #fr16_n
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