田中明彦『新しい中世―相互依存深まる世界システム (日経ビジネス人文庫)』
新しい中世―相互依存深まる世界システム (日経ビジネス人文庫)
- 作者: 田中明彦
- 出版社/メーカー: 日本経済新聞社
- 発売日: 2003/04
- メディア: 文庫
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鋭い経済社会時評をWEB公開されている「溜池通信」さんで、昨年年末公開のレポートで取り上げられ、調べてみたら2年も前に文庫に落ちてたことが判り、さっそく購入。
先日の『ドロテア』のレビューで触れた、「文明社会が辺境から中世化している」という現代政治学の概念の原点のような本。初出は1996年で、勿論、911より遥か前のこと。いや、ハードカバーで出たときは高くて手が出せなかったんだよね。
でも、今読んでもまったく古びていない。というより、今こそこの本で予言された時代のただ中にあると実感でき、その意味で恐るべき本だ。
さて、上記でも触れているこの本のテーマをもう少し踏み込んで説明すると、こうだ。
本書では、冷戦後の世界は3つのセクターに別れるとする。
ひとつは、国民国家システムを維持する「近代圏」。
もうひとつは国境の概念の薄れた「新中世圏」。
そして完全に秩序が崩壊した「混沌圏」。
私たちが馴染んでいる国民国家型の社会システムは「近代圏」でのみでしか維持できない。
「国民国家」として統合性を維持するのは、そこに住まう私たち住民が思っているよりはるかに膨大なエネルギーを必要とするのだ。「国家」としての統一したイメージを形成するために、どこの国も自国民同士で血で血を洗う内戦なり、宗主国からの独立戦争なりを経験し、膨大な血と鉄と財を浪費してようやくと「国家」的自我の確立までたどり着いている。そして、その凄絶な記憶をよりどころに幾世代も教育を重ね、外交や治安維持や日常の市民サービスを通じて、ことあるごとに「国家」の有難みを国民にしつこく強調し続けて、ようやくと「国家」という虚像(まぼろし)が現実の体をなす。
しかし、そんなエネルギーが世界中のどこの国にでもあると思ったら大間違いだ。
「国民国家」を完全に維持するだけのエネルギーがなければ、より自然な凝集性(郷土愛)を保てる地域的共同体へ権力の収束点はシフトしてゆく。国民国家の分裂、解体はこの段階で発生する。冷戦終結後にぽろぽろと分裂を始めた旧ソ連、ひとつの統一国家が凄惨な内戦を経てとうとう6つの共和国にまで分裂してしまったユーゴスラビアなどはその象徴的な例と言ってよい。これらは、「国民国家」を維持するエネルギー・ポテンシャルが不足し、そのポテンシャル(エネルギー量)で維持できるだけのサイズの地域国家に強制的にダウンサイジングされてしまった、と考えると理解が早いかと思われる。
このレベルの国家群の実像は、ナポレオン以降の近代的な「国民国家」よりも中世的な意味での「国家」により近く、その意味で本書では「新中世圏」と称している。
この地域共同体すら維持できなくなると、もはや治安の維持さえ覚束ない、混沌とした暗黒世界へと成り下がる。アフリカの一部地域でこの状態に陥り、荒くれ揃いの傭兵達でさえ泣いて避けるという、そこまで酷い状態に陥ってしまった。
これが「混沌圏」だ。
この「混沌圏」には世界の治安機関や外交・諜報機関、マスコミなどの目が行き届かず、テロリストや犯罪結社の温床となりやすい。そこで育成され、鍛えられたテロリスト、生産された麻薬などは、警戒の緩やかな「新中世圏」の国々を経由して、世界経済の中枢市場であり、現代文明の意思決定を担う「近代圏」──先進国諸国を目指す。そこが富と権力と情報の中枢セクターなのだから。
こうして911は発生した。
すべてが必然であったことを、96年に刊行されたこの本は冷徹に予言していた。
「混沌圏」に「アフガニスタン」を、「新中世圏」に「パキスタン」を、そして「近代圏」に「アメリカ」を当てはめれば、そのまま事件の基本構造をほぼ語り尽くせるといっていいのだ。
※なお、911前夜のアフガニスタン国内の具体的な状況については、『大仏破壊―ビンラディン、9・11へのプレリュード (文春文庫)』に詳しい。
一応、指摘しておくが、この世界構造には意味がないわけではない。
暗黒の混沌の中で新しい生命が育まれるように、混沌とした世界の辺境で荒々しく不条理な現実に晒され続けることで、より新しく、力強い社会的価値観や文化が生まれるかもしれない。そうした新しい価値観を先進諸国が回収して新たな社会環境へ適応するためのきっかけとなれば良し、できなければ先進諸国を滅ぼして次の覇権システムが生まれるだろう。
その意味で、人類の未来はこの暗黒の「混沌圏」に秘められた可能性にあると言えるかもしれない。
……まぁ、そのことと私たちの個人的な幸福と生活の維持とは、必ずしも合致しないものではあるのだけど。
と、まぁ、ここまでは本書を読む前に事前の知識だけで書いた文章。
本書はその前知識をより深化し、具体化してくれるのか、はたまたあっけなく覆してくれるのか。
楽しみに読ませていただきましょう。