積読日記

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藤村幸義『老いはじめた中国 (アスキー新書 049)』

老いはじめた中国 (アスキー新書 049)

老いはじめた中国 (アスキー新書 049)

 他のネタの仕込みも乏しいので、もう少しこの話題を引っ張ってみます。
 
 誤解なきようあらかじめ断っておくが、自分は中国人の潜在的なポテンシャルは良かれ悪しかれ、こんなものではないと思っている。が、同時に、その膨れ上がるポテンシャルを、現在の共産主義政権ではうまく捌き切れないのではないかと疑っているだけである。
 しかし別に共産主義だろうが民主主義だろうが、特にそれ自体に偏見はない。というか、思想や体制などというものは、所詮ツールでしかなく、その時代、その社会で一番使い勝手の良いツールが選択されるだけの話なので、思い入れなぞしようがない。使えなければ、修理するなり、捨てるなりするだけの話である。まぁ、社会システム論者の思想や体制観なんてそんなものだ。
 ただ、道具(ツール)である以上、耐用年数はあるし、シチュエーションが変われば通用しなくなる。
 具体的にはその社会の人口構成。産業構造。貿易額。市場の流通資金量。出版物やメディアの流通量や普及度。個々人の社会参加へのリテラシー。携帯電話やPC、高速インターネット通信などのコミュニケーション・ツールの普及度──それらをひっくるめた社会全体の情報の総量と密度が、ある日、ある閾(しきい)値を越えた瞬間、それまで通用してきた思想や政治体制がいきなり通用しなくなる。
 氷が水になり、水が水蒸気になり、再び水を経て氷になる──エネルギーポテンシャルの増減に伴って物質の位相が遷移した瞬間、適用される物理法則が劇的に転換するのと同じだ。
 その意味で、単純に考えても国民一人辺りのGDPが百ドルそこそこだった頃に成立した国家体制が、2万ドルに手を掛けようという時代に通用するわけがない。
■21世紀中国総研:中国のGDP(1978―2007年)
http://www.21ccs.jp/china_performance/performance2007_02.html
 
 勿論、曲がりなりにも国家を名乗る以上、半世紀ぐらいは持つ程度の冗長性は備えていようが、その冗長性も度が過ぎれば社会的自我同一性(アイデンティティ)そのものがひっくり返る。
 中国という国は、社会の実態としてとっくに位相の遷移が進んでいて、それをきちんと統治(ガバナンス)するには、もう一段精度の高い社会思想と体制が必要なのではないかと自分は考えているのだ。
 それが出来なければ、中国という国はばらばらになるか、その持てるポテンシャルを発揮しきれないまま、急速に国力をスポイルされてしまうだろう。
 
 が、これは何も中国だけの話ではない。
 我が国もこの10年ほどで急速にそれまでとまったく別な社会に遷移してしまっている。
 にも関わらず、一部の企業を除いてそこに対処できる新しい社会システムを構築できていない。PSE法建築基準法の改正、近いところでは携帯電話サービスのフィルタリング制度の施行など、この数年、強引に施行された法改正が市場を混乱に落としいれ民間経済の足を引っ張る事態が多発していることにお気づきだろうか。
「官僚の質が落ちた」と言ってのけるのは簡単だが、おそらくは本質はもっと根深い。社会の実態を正確にモデリングして効率的な社会システムをデザインできる人材を政策形成の中枢に送り込む、あるいは育てるだけの能力を、私達の社会は喪ってしまっているのだ。
 米国は覇権国家からの転落しつつあり、中国もまたその巨体にもかかわらず統治能力に疑いがあるとなれば、早急に私たち自身の社会を立て直さなければならないにも関わらず、だ。
 これはよくよく深刻な事態であると認識していただきたい。
 しかも簡単に革命が成るほど、この国の治安構造は安普請ではないときている。
 となれば、あらゆる機会を捉えて国民一般の社会参加意識とリテラシーを地道に向上させて、社会全体のモデリング能力、政策形成能力を少しづつ積み上げてゆくしかないのだが……。
 いやぁ、間に合うんだろうか、本当に。