積読日記

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義忠『彼女の戰い』第12回

Scene 12

 ドアの開く音は、やけに大きく響いた。
「この辺が性格の違いかしらね」
 足下のきれいに平らげられた食事用のトレイに目をやり、ミサトは言った。
「シンジ君の場合、独房(ここ)に入れられたときは、いつも食事に手をつけなかったものだけど」
「そろそろ来る頃だと思ってた」アタシはベッドから身を起こして言った。
「相田はどうしてる?」
「無事よ。たぶん、すぐにでも釈放されると思うわ」
 じゃ、まだってことか、とアタシは解釈した。
「で、アタシの処分は?」
「厳重注意。後で始末書を提出」
「叛逆罪で?」
「保安条例第8項違反」
「へぇ、結局、そこに落ち着いたんだ」
 アタシは小さく嗤って訊いた。
「ねぇ、始末書って、どこまで詳しく書いたらいいのかなぁ。やっぱり、相田と組んでMAGI―III(ドライ)に侵入したところまで? それとも、シンジ関連の極秘情報に接触アクセスしたところまで書いた方がいい?」
「そんな事実はないわ」
 一片の感情も込めず、ミサトは言い切った。
 アタシは少しづつ昴ぶってゆく感情を意識しながら、ミサトを睨んだ。
「なぁんだ、そーゆーこと? それならそーと、さっさと言ってくれればいいのに。大丈夫よ、判ってるって。大人の事情ってヤツでしょ。それぐらい、アタシにだって理解できるわ」
「……アスカ、やめなさい」
「何で? これも人類の未来のためなんでしょ? アタシたち適格者(チルドレン)の崇高な義務ってヤツよね」
「やめなさいって言ってるでしょっ!」
 突然、ミサトは声を荒げて怒鳴った。
「子供が判った風な口を利くもんじゃないわ!」
「何よ! そもそもミサトが――!?」
「納得できないんなら、できないって言えばいいでしょ!」
 いきなり矛先を変えてきたミサトに、一瞬、アタシは当惑した。
「え? だって――?」
「子供が大人の事情なんて考えることなんてないのよ! 辛いことは辛い、苦しいことは苦しい、頭にくるんなら頭にくるって素直に言いなさい! 言いたいことも言わずに腹の中に溜め込んで、そんな中途半端に大人じみた持って廻ったような嫌味を口にするくらいなら、真っ直ぐぶつかってくればいいでしょ!」
「何ですって!?」アタシも思わずかっとなって言い返した。
「そっちこそ、いかにも『自分は子供の味方です』みたいな言い方しないでよ! 力の差があるんだから、まともにぶつかっていったら叩き潰されて終わるだけじゃない! その度に勝手な事情を持ち出して、何でもかんでも無理矢理諦めさせてきたのは、大人の方でしょ!」
「あーっ、もぅ、シンジ君といいこの子といい、何だってこんな――ええ、そうね。わかってるわ。こんな子供達にしたのは、アタシたち大人の責任だって」
 ミサトは唸るように呟くと、真っ直ぐアタシを睨みつけて言った。
「いいわ。来なさい」
「え?」
「シンジ君に会わせてあげるわ」
 
 保安上の要請からか相変わらず迷路のような構造の本部施設内の通路を抜け、ミサトに連れてかれたのはEVA初号機の機体格納庫(ケイジ)だった。
「整備指揮室?」
「いいえ。そこはいまリツコ達が詰めてるから。アタシ達が行くのは、第二指揮室の方よ」
 魔神の如き巨躯を誇るEVAは、その熱力学的安定と整備上の便宜性を確保するため、ケイジ待機中は特殊な冷却液で満たされた巨大なプールにその身を沈めている。
 整備指揮室はその格納プール内の施設で、エントリープラグ挿入口のあるEVAの背面装甲板を見下ろすような位置に設けられていた。そして第二指揮室は、事故や何らかのトラブルでそこが機能不全に陥った際に使用される予備施設だった。
 しかし、その整備指揮室にリツコがいるということは――
「EP2式サルベージ計画」
「どこまで知ってるの、アナタ?」
 アタシの呟きに、ミサトは眉をひそめた。
「保安部から聞いてないの?」
「あそこがブラックホールだってのは、アナタも知ってるでしょ」
 言い得て妙だな、と感心する。
「まぁ、いいわ。入って」
 ミサトはIDカードを読取機(リーダー)のスリットに滑らせ、第二指揮室のドアを開いた。
 室内は電子機器の発する特有の雰囲気に満たされていた。特に照明らしきものはなく、代わりに赤や緑のパイロットランプが部屋のそこかしこで点滅し、断続的にリレーか何かの切替音が聴こえてくる。
 アタシは横に三列並んだ操作卓コンソールの列を抜け、窓際に近づいた。
 この第二指揮室は第一指揮室とはちょうど逆に、初号機を正面から見下ろすような位置に設けられている。ここから見る限り、ほぼひと月振りに目にする初号機は、使徒との戦闘で負った損傷箇所の修復も完了しているようで、カブトムシのそれを思わせる頭部装甲ユニットも新しい物と交換されていた。その各所にあるアクセスパネルからは太いケーブルが伸び、周囲には整備員の姿が幾人か見受けられた。
「あまり窓には近づかないで。ここにアナタがいると知られるのは、色々まずいから」
 操作卓(コンソール)のひとつを起動(たちあ)げて、命令(コマンド)をいくつか打ち込みながらミサトは言った。
「いま6番のモニターに初号機のプラグ内映像を表示させるわ」
 ミサトの指さした小型モニターのひとつを見上げる。
 だが、最初、そこに何が映っているのか理解できなかった。
「プラグスーツ……?」
 そう。
 それはエントリープラグ内にシンジのプラグスーツだけが、ゆらゆらと浮かんでいる不思議な映像だった。
「これって……いったい……!?」
「この前の使徒との戦闘で、シンジ君のシンクロ率は400パーセントを越えたわ――これは、その代償なのよ」
「代償って――」
 そのとき、不意にMAGI―III上で目にした機密文書の中に出てきた言葉を思い出した。
「LIQUEFACATION(液状化現象)……って、まさか、本当に溶けて消えただなんて――!?」
「そのまさかよ」ミサトは沈痛な声で言った。
「シンジ君は初号機に物理的に取り込まれてしまったのよ」
「…………」
 絶句した。それ以外に、どうすることもできなかった。
 あの機密文書の中の表現は別に比喩的なものでも何でもなく、事実をありのままに表記したにすぎなかったのだ!
「黙っていたのは、アナタに与えるショックを考えたからよ。同じEVAパイロットであるアナタにこんな映像ものを見せたら、どんな影響があるか予想がつかなかったから」
 ショック? 確かにショックには違いない。
 EVAからのフィードバック情報の急激な増加に伴って、パイロットの精神がバランスを崩してしまうのがいわゆる「精神汚染」だが、より具体的にはEVAからの情報とパイロット本人の自我情報の識別ができなくなることを指す。判りやすく言ってしまえば、「自分が何者なのか判らなくなってしまう」ことだ。
 だが、これは何だ!?
 シンクロ率400パーセントの代償、とミサトは言った。
 じゃぁ、これは、シンジが想像もつかないほど深くEVAとシンクロしてしまった結果、細胞レベル――いや。分子レベルまで「自分が何者なのか判らなくなってしまった」結果なのか。
 そんな、バカな!? そんなバカなことがあるか!?
「精神汚染」とはあくまで精神病理学上の現象だ。それが物質の属性にまで干渉するなどというふざけた話があってたまるものか。量子力学の領域において、観測主体の意思が観測結果に影響して、さまざまな不可思議な現象を引き起こすことがあるくらいアタシも知っている。しかしそれを、エネルギー・ポテンシャルの違う一般相対性理論の世界に無批判に援用するのは、オカルトかぶれのエセ科学者が好んで使う論法にすぎない――
 だが、必死で否定しようとするアタシを嘲笑(あざわら)うかのように、モニター上ではプラグスーツがゆらゆらと踊っていた。
 アタシは、怒りとも屈辱ともつかぬ感情を苦く噛みしめた。
 判ってる――いや。判っていたはずだった。
 使徒やEVAに常識は通用しない。そんなことは今に始まったことじゃない。使徒との戦いは、人類が営々と積み重ねてきた知識や常識を無造作に無視する、デタラメな事象との戰いでもあった。
 それでも、こうしてその現実を目の当たりに突きつけられると、その衝撃は決して小さくはなかった。
 それは人智という灯火(ともしび)の届かぬ深い闇が、ひたひたと足下にまで忍び寄っていたことに、唐突に思い知らされたかのような気分だった。
「!?」
 その時、不意にモニター上に生じた変化に、アタシは息を呑んだ。
 プラグスーツの映像が一瞬薄れ、また元に戻ったのだ。
「ときどき、ああいうことが起きるのよ……」愕然と振り向いたアタシに、ミサトは言った。
「リツコによると、あのプラグスーツはシンジ君が辛うじて現実世界との結びつきを感じられる縁(よすが)なのだそうよ。シンジ君の心の中で、唯一、確かなものとして信じられるあのプラグスーツだけが、物質化してプラグ内に浮かんでいるんだって……」
 アタシはミサトの告げた言葉の意味を、おそらく口にした本人以上に完璧に理解していた。
 シンジにとって、何よりも「EVAのパイロットとしての自分」が認められることが嬉しかったのだろう。「EVAのパイロット」として使徒を斃し、祝福を受ける自分だけが肯定するに足る自分だった。
 だからEVAの深い闇の中に囚(とら)わわれながらも、その自分に執着することで、完全に呑み込まれてしまう寸前で踏みとどまることができたのだ。
 あれはアタシだ――合わせ鏡の向こう側にいるもうひとりのアタシの姿なのだと、アタシは思った。
 だがその一方で、アタシは「EVAのパイロット」としての自分を、シンジほどには肯定的に捉えられずにいる自分に気づいてもいた。「EVAのパイロット」としてのアタシはただの負け犬にすぎない。どれほど必死に否定したくても、知らぬ間に染み込んでくるその冥(くら)いイメージを拭い去ることができずにいた――アタシには、他に何もないのに。
 再びモニターに視線を転じる。
 あれが自分だったら、とアタシは考えた。
 アタシは踏みとどまることができるだろうか。深い深い、どこまでも深い闇の底に引きずり込まれんとしたとき、自分の中の何かを信じてこの世界に踏みとどまることができるだろうか。
「できる」――と言い切ることのできない自分を、アタシは何よりも深く怯れていた。
「聞いて、アスカ」ミサトは静かな口調で切り出した。
「アナタをこの件から遠ざけたことは、悪かったと思っているわ。正直言って、シンジ君がこんなことになってしまったことでアタシ達も動揺していたし、これ以上、面倒は避けたいと考えてしまったの。
 幸いにして――という言い方も変だけど、アナタはシンジ君のことにあまり関心がないようだったから、ともかくシンジ君の問題に何とか目途がつくまで、このままそっとできるものならそっとしておきたいと考えてしまったのよ」
 アタシはモニターから目を逸らすことなく言った。
「……随分と正直なんだ」
「今更、言い繕(つく)ろってもしょうがないもの」
「でも、ずるいやり方よね――機先を制して自分達の非を認めてしまうってのは」
「そうね」ミサトは否定しなかった。
「だから、許してもらえるとは思ってないわ」
 アタシはミサトの方を振り返った。確かにその瞳は、許しを乞うている者の瞳ではなかった。決然としたある種の意志を秘めた瞳だった。
「アタシ達は――いいえ、少なくともアタシは、アナタの苦しんでいる姿を知りながら、シンジ君のことにばかりかまけて、アナタにどう手を差し伸べてあげればいいのか考えようとしてこなかった。
 そのことで保護者としての責任を問われれば、アタシには何を言い返す資格もないわ。
 でもね、アスカ、人間は完全な存在ではないし、そんな存在(もの)にはなり得ないものなのよ」
「今度は開き直り?」
「違うわ。アナタがアタシやNERVの大人達のりやり方に対して、怒ったり、軽蔑したりするのは構わない。勿論、許す必要なんてない――それはアナタの正当な権利なのだから。
 だけど、世界のすべてを薄汚れたもののように見るのだけはやめて。
 今度の一件を通じて、アナタは大人達の最も醜い側面を目にしてしまったのかもしれない。それはアナタの侮蔑を買うに相応しいものであったのかもしれない。
 それでもなお、人間という生き物は生きてゆかねばならない存在なのだと、アタシは信じているの。生きる価値のある何かが人間には在るのだと、アタシは信じたいのよ」
 そこまで言い、ミサトは息をついて苦笑した。
「本音を言うとね、ときどきアナタやシンジ君の前にいるのが、辛くなるときがあるの。
 今のアタシは、アナタ達と同じくらいの頃に、こんな大人にだけはなりたくないって考えていた大人になってしまっている――子供を戦場に立たせて、自分だけは安全な場所で偉そうにふんぞり返っているような大人。今日一日を生き抜くためと称して、いろんなことから目を逸らして、その場だけ誤魔化して事足れりとする大人。本当の気持ちを圧し殺して、平気でウソをつく大人。……。
 自分がそんな大人になってしまってるって気づいて、愕然とするときがあるわ。
 それは勿論、自分で選んだ結果だし、後悔なんかしていない。それぞれに避けようのないいろんな事情があって、その時々の自分が選べる限り最善の選択を積み重ねてきた結果なのだと信じている。
 それでも――それでもね、アナタやシンジ君にさっきみたいな猜疑心に満ちた目を向けられるのは、結構、堪(こた)えるのよ。
 まるで、あの頃の自分に責められてるみたいな気がするし、それに――」
「それに?」
「アタシ達は、何よりもアナタたち子供が、そんな目で世界を見ないで済むように戰っていたつもりだったのだもの。あの頃のアタシがそうだったような、憎しみや絶望に歪んだ目で世界を見ないで済むようにって――それはきっと、子供でいられた時代をあのセカンドインパクトで踏みにじられてしまったアタシ達の世代の人間にとって、共通の願い、いいえ、祈りのようなものなのかもしれないわね。
 それをぎりぎりの所で信じていられるから、理想や純粋さを削り取られてゆくような毎日をそれでもしのいでゆくことができる。いつかそれすらも見喪ってしまう日がくるんじゃないかと怯えながら、でもね。
 だけどアナタにあんな目で見られると、そうやって戰ってきた今までの自分のすべてを否定されてしまうような気がして、本当に辛くなるわ」
 寂しげに呟くミサトに、アタシが口にしたのは一言だけだった。
「……勝手な言い草よね」
「シンジ君にもそう言われたわ」ミサトはモニターを見上げた。
「でも、せめてこれだけは信じてちょうだい。上層部(うえ)の方でごちゃごちゃと勝手な動きがあるのはアタシも知っているけど、現場のスタッフは皆、真剣にシンジ君の身を案じて作業を進めているわ。でなきゃ、幾晩も泊まり込みで仕事に打ち込んだりなんかするわけがないもの」
「…………」
 アタシは何も言わなかった。
 ミサトは本音で話をしている。そのことはアタシにも判る。
 だが、その実、自分の勝手な願望を一方的に押しつけているにすぎない。典型的な「大人の論理」だった。
 アタシの苦しみを知っていたと口にしながら、どんな理由があったにせよ、彼女は手を差し伸べようとはしなかった。アタシに手を差し伸べてくれたのはヒカリだったし、相田だった。ミサトではない。
 それがこの期に及んで本音だの苦渋だのを聞かされたからといって、何の感慨も持ちようがなかった。ましてや、セカンドインパクトという、アタシたち子供が感覚的に共有し得ない経験を起点に語られた言葉になぞ、だ。
 だが、怒りは感じなかった。ミサトに悪意はない。だから、怒る理由も存在しない。
 彼女は大人なのだ――たとえ本人がどれほどそんな自分を嫌い抜いていたとしても。
 そしてアタシは子供だった――たとえアタシ自身がどれほどその事実を否定したくとも。
 その越えがたい断絶が、お互いの間に無造作に横たわっているというだけの話だ。
 無言のまま、アタシは醒めきった表情でミサトを見た。
 怒りではなく、むしろ諦観――あるいはそれは虚無ともいうべきものであったかもしれない。
 それを前にして、ミサトの表情が当惑から驚き、そして痛みに耐える者のそれへと変化してゆく。越える術のない断絶を前に立ちすくむ者のそれに。
 その姿を他人事のように眺めながら、アタシは胸で呟いた。
 ミサト、アナタはそこから始めるべきだったのよ……その痛みなら、アタシにだって判ったのに――
 いや。
 アタシがここから始めるべきなのではないのか?
 一瞬、頭をよぎったその考えに、アタシは衝撃を受けた。
 差し伸ばされる手を待つのではなく、自らその手を差し伸べることを選ぶべきなのでは――
 だが、アタシは躊躇した。理由は判らない。もしかすると、拒絶されることが怯かったのかもしれない。
 しかしそうこうする間にも、ミサトの瞳から急速に表情が消えてゆく。
 アタシには、ミサトの心の中でどのようなプロセスが進行しているのか、手に取るように理解できた。
 絶望と諦観で掘り上げた虚無の大穴に、あらゆる感情を放り込んで蓋をしているのだ――そしてそれは、ほんの一瞬前のアタシの心の動きそのものだった。
 その事実の持つ意味に、愕然となる。
 やがて、ミサトがぬくもりを欠いた冷ややかな視線でアタシを見ていることに気がついた。それは人間に対して向けられた視線というより、道ばたの石でも眺めるような醒めきった視線だった。
 皮肉にも、それはアタシがミサトに向けた視線とそっくり同じものだった。
 そうと悟った瞬間、アタシは、自分がミサトと同じあやまちを犯してしまったことを、知った。
 
                                    >>>>to be Continued Next Issue!