積読日記

新旧東西マイナー/メジャーの区別のない映画レビューと同人小説のブログ

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大連立

 朝のワイドショーで「お国のためだ」と三宅久之ナベツネ擁護で吠えてたわけなんですが。
「大連立」云々、それ自体はひとつの見識なので、必ずしも否定するつもりはないのだけど、トップさえ動かせば政治を動かせるという認識がまず間違っていたわけで。
 
 小沢さん自身もよく理解していなかったらしいのだけど、民主党という組織の本質は大学のサークル活動のような集団合議制で、小沢流のトップダウン型リーダーシップが求められていたのもあくまでその枠内での話。今回の大連立のようなドラスティックな方針変更を通すには、少なくとも幹部クラスの根回しくらいはしておく必要があり、それなしでは指一本、勝手に動かせない。特に昨年のメール騒動のように、党首が軽挙妄動して自爆したなどということをこの党は何度も繰り返しているので、その手の安全装置が二重三重に掛けられ、非常に取り廻しの悪い組織となってしまっている。
 これは明らかに「戦闘集団」としては使い物にならないわけで、「常在戦場」を身上とする小沢氏が切れるのは至極もっともだ。
 
 と、同時に、民主党がまがりなりにも選挙に勝ってここまで党勢を伸ばしているのは、民主党のこういう「非戦闘集団」的な側面を、国民の多くが積極的に評価こそしないまでも致命的な要素とは捉えていないということでもある。
 ここには、実は小選挙区導入と機をいつにして、この10年ほどの間に急速に進んだ、この国の政治風土の変化とも関係してくる。
 俗に言う「ワイドショー政治」化がそれで、TVのワイドショーに代表されるマスメディアの論調によって民意の方向性が極端に増幅されるため、現代の政治家はこれを無視できない。それは南北戦争の時代からそうだったとも言えるし、最近はTVだけでなくWEBの論調にも目配せが必要だったりするのだが、ここで重要なのは、最近ではメディア等を通じて形成される国民のコンセンサスから外れた政策主張は、極端に排撃される傾向があるということだ。「空気嫁」というやつだ。
 で、それは見方を変えれば単に同調圧力が強化されているだけとも言えるのだが、このような政治環境下にあって、この国の政治家はメディア上で事あるごとに持論を主張し、政敵と議論を交え、自己の政策主張の説得力を強化してゆく必要に迫られている。若手、中堅の議員がワイドショーやニュース番組にコメンテイターとしてやたらと出演するようになっているが、あれは「顔を売る」という目的以上に、政策行動の自由を確保するための「国民の信用」というある種の陣取り合戦を戦っているのだ。
 ……ただ、まぁ、上でも少し触れてるが、最近はTV、新聞以外にもWEBという補助線が現れたため、特定のメディアの論調だけで国民世論が形成されているわけではないのだけど。
 
 そこで、話を最初に戻すと、三宅氏やナベツネがどんな危機意識を持っていようと、その危機感は今のところ国民のコンセンサスを得る所まで至っていない。参院選以来、読売新聞がキャンペーンをぶち上げてはいるものの、誰も本気にはしていなかった。そんな状態でトップだけその気にしても、誰もついてくるわけがない。
 良かれ悪しかれ、今の日本はもはやそういう政治風土の国となっていることに、今回の仕掛け人達はあまりに無頓着すぎた。
「世論形成」という陣取り合戦で足元を固めてから、行うべき話だったのだ。
 
 ……いや、まぁ、「その時間がない」という危機意識が、今回の無茶な仕掛けに繋がって破綻しちゃったわけなんだろうけど。