『拳銃0号』@ラピュタ阿佐ヶ谷(16/4/28(thu)鑑賞)
本日の映画『拳銃0号』@ラピュタ阿佐ヶ谷に劇場入りしました。1959年公開。1丁の拳銃が辿る数奇なドラマの映画だそうです。#fr16_n
— 義忠@夏コミ申込中「物語工房」 (@yoshitada_n) 2016年4月28日
『拳銃0号』観終わりました。次々に人々の手に渡ってゆく1丁の拳銃の物語。岡田眞澄から宍戸錠、赤木圭一郎と、後の日活アクションを彩るスタアが次々に登場する豪華さ……なんだけど、個々のエピソードが今ひとつ捻りがなくて、本当に拳銃が人々の間を通り過ぎてるだけと言うか。#fr16_n
— 義忠@夏コミ申込中「物語工房」 (@yoshitada_n) 2016年4月28日
『拳銃0号』:尺的に1時間弱で、出てくる登場人物も、米国人旅行客からギャング、子供、貧乏な楽団員、逝かれたカップル……と、プロの犯罪者から市井の一般人まで、関わる人々はバラエティに富んでいるのだけど、ドラマとして掘り切れずに次のエピソードに移ってしまう。#fr16_n
— 義忠@夏コミ申込中「物語工房」 (@yoshitada_n) 2016年4月28日
『拳銃0号』:「拳銃」というアイテムの持つ意味を固め切れなかったまま、話を始めてしまった印象があるんだよな。「拳銃」とは暴力を解放する装置であり、蛮勇を象徴するアイテムなんだから、それによって、手にする人々の人生が転換し、あるいはねじ曲がる様をこそ魅せなくては。#fr16_n
— 義忠@夏コミ申込中「物語工房」 (@yoshitada_n) 2016年4月28日
『拳銃0号』:そんなわけで、この映画自体はあまり評価はできないんだけど、50年代の日活アクションは、こんな感じでトリッキーなプロットに走って、それが当たりもすれば、外れもする。60年代に入ってスタア映画化して打率が上がる前夜の、夜明け前の映画として興味深かったです。#fr16_n
— 義忠@夏コミ申込中「物語工房」 (@yoshitada_n) 2016年4月28日