『暴力街』@ラピュタ阿佐ヶ谷(16/5/2(mon)鑑賞)
本日の映画『暴力街』@ラピュタ阿佐ヶ谷に劇場入りしました。1963年公開。高倉健主演の着流し任侠ものだそうで。#fr16_n
— 義忠@C90(日)東パ47a「物語工房」 (@yoshitada_n) 2016年5月2日
『暴力街』観終わりました。高倉健主演の任侠映画としては、初期に当たる作品なのかな。ただ高倉健以外は、対立する組も弟分も、利権漁りを優先する近代ヤクザで、高倉健の任侠精神は通用せず、在るべき理想は徹底的に脱臼させられる。これ、むしろ反任侠映画なんじゃ……。#fr16_n
— 義忠@C90(日)東パ47a「物語工房」 (@yoshitada_n) 2016年5月2日
『暴力街』:長崎郊外、土地のヤクザ、香取組台貸の小木曽俊介(高倉健)の出所を機に、対立する倉田組との間で、手打ち式が行われた。だが、人数は少ないが代々地元の興行権を握ってきた香取組の利権を狙う倉田組は、香取組への因縁付けを収める様子はない。#fr16_n
— 義忠@C90(日)東パ47a「物語工房」 (@yoshitada_n) 2016年5月3日
『暴力街』:一方、小木曽の服役中、組を仕切ってきた弟分で顔役の影山(江原真二郎)は、荒っぽく貪欲にシノギを仕切り、倉田組の利権へも手を突っ込もうとする。昔堅気の任侠を重んじる小木曽はそれを苦々しく思い、何度も衝突するが、弟分を切り捨てることができずにいる。#fr16_n
— 義忠@C90(日)東パ47a「物語工房」 (@yoshitada_n) 2016年5月3日
『暴力街』:だが、新設の市民体育館のこけら落とし興行を巡って、倉田組と県会議員を捲き込んだ抗争に発展し、影山は追い詰められてゆく……というお話。うーん、あらすじをこうやってまとめると、任侠BLみたいだな(爆 #fr16_n
— 義忠@C90(日)東パ47a「物語工房」 (@yoshitada_n) 2016年5月3日
『暴力街』:ええと、あらすじでは端折りましたが、高倉健と影山との間で揺れる香取組先代組長の娘で名代に三田佳子。清純派なお嬢さんで高倉健が好きだけど、服役中の不在の間に江原真二郎に強引に迫られてできちゃってたという衝撃のNTR展開が(爆 #fr16_n
— 義忠@C90(日)東パ47a「物語工房」 (@yoshitada_n) 2016年5月3日
『暴力街』:ただそれを含めて、江原真二郎の目線は反発しつつも、常に高倉健を向いていて、高倉健も殺された弟分の仇打ちで単身倉田組に殴り込みをかける。そこまでに江原真二郎がやった所行を考えれば、完全な自業自得で、他の組員もどん引きしてるのに。#fr16_n
— 義忠@C90(日)東パ47a「物語工房」 (@yoshitada_n) 2016年5月3日
『暴力街』:この映画は冒頭の手打ち式の神事を丁寧に描写するところから始まって、伝統的な和風描写が多く、その文脈に則って高倉健の着流し姿の昔堅気の任侠精神を好意的に描いてる…表面的には。実際の物語のレイヤーでは、彼の任侠精神は何にも役に立ってないのよね。#fr16_n
— 義忠@C90(日)東パ47a「物語工房」 (@yoshitada_n) 2016年5月3日
『暴力街』:そんな高倉健を無視して、弟分の江原真二郎もライバルの倉田組も、近代ヤクザのロジックで生々しい利権抗争を繰り広げる。挙句に、敬愛する三田佳子がとっくに弟分にNTRられてたと知って、どーんと落ち込み、着流しを捨てて革ジャンに着替えて街を出て行こうとする。#fr16_n
— 義忠@C90(日)東パ47a「物語工房」 (@yoshitada_n) 2016年5月3日
『暴力街』:そこへ、江原真二郎の死を知って殴り込み、斬った張ったの大立ち回りの末、倉田組組長を斬殺。既に殺人の前科があるので次やったら無期懲役か死刑と覚悟してる高倉健は、その場にいた倉田組若衆の千葉真一に自分を刺せと命じる。#fr16_n
— 義忠@C90(日)東パ47a「物語工房」 (@yoshitada_n) 2016年5月3日
『暴力街』:これには、高倉健の服役が彼の父親を殺したことが原因だったという因縁がある。ところが、作中、千葉真一は「親父の仇」と何度も襲ってきてたのに、この土壇場で、返り血を浴びて喚き立てる高倉健にどん引きして動かない。結局、高倉健はそのまま警察に連行という(爆 #fr16_n
— 義忠@C90(日)東パ47a「物語工房」 (@yoshitada_n) 2016年5月3日
『暴力街』:高倉健の出番はこれで終わり(ー ー;; 結局、高倉健の任侠の美学は、最後の最後まで空廻りしっぱなし。そこに何の救済もなし。なので、この映画は、正しくは「反任侠映画」あるいは「脱任侠映画」と呼ぶべきだと思う。#fr16_n
— 義忠@C90(日)東パ47a「物語工房」 (@yoshitada_n) 2016年5月3日
『暴力街』:ええと。自分の認識だと、「任侠映画」とは、義理とか人情とかを重んじ、悪漢の仕打ちを耐えに耐え、とうとう最後に着流しに日本刀(ダンビラ)背負って殴り込み…というもので、高倉健なんかその代表的な役者なのだけど、その彼の仁侠映画の初期作が、これ。#fr16_n
— 義忠@C90(日)東パ47a「物語工房」 (@yoshitada_n) 2016年5月3日
『暴力街』:任侠道をロマン主義的に、あるいは様式美的に描くのが任侠映画だと思ってたけど、その奥底でそれが現代社会でまともに機能しないという、醒めた虚無を潜ませていたことになる。まぁ、直前までギャングものだの、組織抗争時代劇だの撮ってた連中なんだから、そりゃそうだ。#fr16_n
— 義忠@C90(日)東パ47a「物語工房」 (@yoshitada_n) 2016年5月3日
『暴力街』:任侠映画は別に東映の発明でも、高倉健の専売特許でもないので、ジャンル全体の本質がそうだという気はない。江戸の昔から地方巡業してた大衆演劇の物語構造の血脈と捉えるのが、まぁ、筋なんでしょう。ちなみにこの映画にも旅芸人の一座が出てきますが。#fr16_n
— 義忠@C90(日)東パ47a「物語工房」 (@yoshitada_n) 2016年5月3日
『暴力街』:ただ、東映と高倉健の任侠映画は、ちょっと私たち思い込んできたものと、違う要素が含まれていたのかもしれない。やっぱり、この辺もちゃんと系統立って掘ってかないとダメかー。守備範囲広げすぎるのもなーと思って、避けてきたんだけど。そんな映画でした。#fr16_n
— 義忠@C90(日)東パ47a「物語工房」 (@yoshitada_n) 2016年5月3日