『レディ・ジョーカー』@神保町シアター(20/01/25(sat)鑑賞)
本日の映画2本目『レディ・ジョーカー』@神保町シアターに劇場入りしました。2003年公開。髙村薫原作、平山秀幸監督の誘拐ミステリー。あの長い原作を2時間にどう納めたのか気になってたんだけど、本公開時に観損なってたんだよね。まあ、こちらの原作読んだ時の記憶も遠くなってますが…。#fr20_n pic.twitter.com/xHMGIWjhsD
— 義忠@諸々活動中「物語工房」 (@yoshitada_n) 2020年1月25日
『レディ・ジョーカー』観終わりました。例によって原作の細部を結構いい感じに忘れてることもあってか、これはこれで。ただちょうど平成のど真ん中の作品ということもあって、令和の今観ると、昭和の遠い反響(エコー)の中でデジタル化社会に移行しきれない中途半端さにもがく映画に見える。#fr20_n
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『レディ・ジョーカー』:大手ビール会社社長が誘拐され、身代金5億円を要求する置き手紙が発見された。警察の総力を挙げた捜査にも関わらず、社長の行方も犯人の正体も不明。しかし、身代金が支払われる前に、社長の身柄は解放された。だがそれは、事件の解決を意味するものではなかった…。#fr20_n
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『レディ・ジョーカー』:というのが、本作の外枠(フレーム)のお話。そしてこの説明では、何の説明にもなってない、という構造の映画でもある(^^;; 「誘拐事件」という状況に対して、犯人側も企業側も警察も、それぞれの事情と視点を持って向き合ってるので、誰も全体像を把握できないという。#fr20_n
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『レディ・ジョーカー』:現実の事件だってそうだろう…という意見もおありでしょうが、作劇として分裂した事件像の断片をそのまま観客に投げ出して見せるというのは、ちょっと特異ではある。でもまあ、松本清張的な集団捜査ミステリーの行き着く先がコレだった、と言われれば、納得感はある。#fr20_n
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『レディ・ジョーカー』:そもそも、原作の髙村薫が『マークスの山』で、日本ミステリー界から驚きをもって受け取られたのは、松本清張以来の集団捜査路線でありながら、個々の刑事たちが「個人商店」として自身の利害に基づいて独立して動き、時に足の引っ張りあいすらする姿だった。#fr20_n
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『レディ・ジョーカー』:それが「新しい」と言うよりも、「言われてみれば、そりゃそうか」という納得感が平成の日本社会にあっ的な、髙村薫がこれだけ世に受け入れられたのだろう。その結実として、本作は「事件」という虚(ウロ)に、登場人物の数だけ、意味や解釈が埋め込まれる構造を持つ。#fr20_n
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『レディ・ジョーカー』:そもそも原作からしてそういう構造だったはずだけど、髙村薫の原作を読んでる時は、あの凄まじい情報量と濃密な描写の書き込みを読みこなすのが精一杯で、構造まで頭が廻ってなかった(^^;; それをこの映画では、あれこれ枝葉を削ぎ落としてくれて、すっきりよく判る。#fr20_n
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『レディ・ジョーカー』:この物語…この「事件」と言うべきかもしれないが、それは戦後間もなくの労働争議の中で、被差別部落出身の主犯の兄が不当に解雇されたことに端を発する。それから半世紀の歳月を経て、さらにいくつかのトリガーが引かれることによって、主犯の老人は犯行を決意する。#fr20_n
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『レディ・ジョーカー』:しかしそれは、彼の「物語」でしかない。原作ではどうだったかはともかく、この映画の中で渡哲也演じる主犯の老人は寡黙で、別に仲間たちの前で動機をアジることも、誘拐された社長の前で恨み辛みを縷々と吐露することもない。彼の「物語」が共有されてる確証はない。#fr20_n
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『レディ・ジョーカー』:競馬場で知り合ったに過ぎない、年齢も職業もバラバラの犯行グループ「レディ・ジョーカー」を結びつけているのは、犯行で得られる現金以外には、結局のところ、それぞれの抱える生き苦しさに寄り添って佇(たたず)むこの老人の存在だけのように描かれる。#fr20_n
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『レディ・ジョーカー』:強い理念を共有するでもなく、金銭だけで緩やかに繋がり、個々人の抱える「物語」を否定せず存在するこのチームは、しかし、それゆえに各自の「物語」を統制できず、静かに自壊し、ひとりづつ脱落してゆく。そういう組織観も、平成の日本らしいっちゃらしいのだが。#fr20_n
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『レディ・ジョーカー』:一方、警察側も組織内部に「レディ・ジョーカー」の一員である刑事を抱え込み、その存在をぎりぎりまで追い詰めながら、組織の論理の限界で逮捕まで持ち込めない。吉川晃司演じるその悪徳刑事と合田刑事の対決が本作の山場だが、合田の捜査もそこまでしか及ばない。#fr20_n
— 義忠@諸々活動中「物語工房」 (@yoshitada_n) 2020年1月26日
『レディ・ジョーカー』:強奪した金銭よりも警察組織の混乱を愉しんでいたかのうようなこの悪徳刑事が、老人の存在や事件の背景事情を告白するようなシーンはまったくないので、物語的には合田刑事は主犯の老人に気づいていない(かのように描かれる)。#fr20_n
— 義忠@諸々活動中「物語工房」 (@yoshitada_n) 2020年1月26日
『レディ・ジョーカー』:結局の所、事件の全体像は観客にしか判らず、それにしたところで、主犯の老人が犯行に及んだ究極的な心理の機微は、起きた出来事からだいたいのところを想像するしかない。本当の「秘密」は当人だけのもの……と書くと『この世界の(さらにいくつもの)片隅に』だが。#fr20_n
— 義忠@諸々活動中「物語工房」 (@yoshitada_n) 2020年1月26日
『レディ・ジョーカー』:さて、本作のモデルとなったグリコ・森永事件は、ご存知の通り、昭和末期を代表する事件だが、それを平成のど真ん中に持ってきたことによって、昭和(20世紀)と平成(21世紀)がせめぎ合う事件構造として描かれる。#fr20_n
— 義忠@諸々活動中「物語工房」 (@yoshitada_n) 2020年1月26日
『レディ・ジョーカー』:戦後の労働争議と部落差別を遠因とし、新聞広告と携帯電話が重要なキーアイテムとなり、犯行は主要幹線道に設置されたNシステムのカメラの監視を縫って実行される。2020年代の現代では、コミュニケーション・ツールとして新聞広告を使うような犯人像は特殊だろう。#fr20_n
— 義忠@諸々活動中「物語工房」 (@yoshitada_n) 2020年1月26日
『レディ・ジョーカー』:民間にも監視カメラだらけの現代では、それすら完璧に避ける犯人には、さらなる言い訳(エクスキューズ)が必要になる。まあ、そもそも、企業が20億もの身代金の支払いを役員会議で決議するのも、現代のコンプライアンスではあり得ないか。#fr20_n
— 義忠@諸々活動中「物語工房」 (@yoshitada_n) 2020年1月26日
『レディ・ジョーカー』:一方で、本作のラストで、被害者である誘拐された社長が、長年の総会屋との関係の責任を取る形で辞職し、会社側が記者会見で元社長の起訴を仄めかす。それはこの映画が公開された少し前くらいから、そういうコンプライアンス感が社会に共有されてきた顕れだ。#fr20_n
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『レディ・ジョーカー』:「レディ・ジョーカー」の犯人たちが知り合うのが競馬場のスタンド、というのは、昭和の邦画クライム・ムービーの伝統として、古い邦画好きには嬉しくなるシーンではあるが、しかしこれも2020年の「現代」では、ちょっと危ういかもしれない。#fr20_n
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『レディ・ジョーカー』:場外馬券場とかネットで買って済ます層もいるし、そうなると主犯の老人との接点がなくなる。現実に「接点なき犯罪集団」としてダークウェブ的なSNSで繋がる犯罪もあるわけで、競馬場では、むしろ誰かが厳しい行動確認喰らったら芋づる的に繋がりが露見しかねない。#fr20_n
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『レディ・ジョーカー』:それらを「古い」と言っているのではない。優れたミステリー作品は、舞台となったその時代や社会と一体となるほど血肉を通わせて成立するものだ。むしろ本作の社会派ミステリーとしての完成度を証明する要素でもある。つまり、「平成」とはこういう時代だったのだ。#fr20_n
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『レディ・ジョーカー』:新聞連載だった原作の初版が1997年、この映画が2003年公開だが、たぶん脚本段階でその辺りのわずかなズレもアップデートされている気がする。まあ、細かい確認とかする気はないけども。しかし「平成」という時代の手触りを見事に捉えたミステリーとして惚れ惚れする。#fr20_n
— 義忠@諸々活動中「物語工房」 (@yoshitada_n) 2020年1月26日
『レディ・ジョーカー』:あと演出面では、北野ブルーの影響の強い色合いとか(^^;; 漫画アニメの影響やリニア編集ネイティブ世代の台頭前の、平成前半の邦画の良質な部分を凝縮している感もあり、この辺も「現代」の作品とは手触りが違って面白い。#fr20_n
— 義忠@諸々活動中「物語工房」 (@yoshitada_n) 2020年1月26日
『レディ・ジョーカー』:役者陣も昭和を代表する渡哲也を中心に、その後の平成後半の邦画やドラマを支えた演技巧者が揃っており、その点でも見応え充分。合田刑事役の徳重聡も、これがほぼデビュー作なだけに若干滑舌が弱い感もあるけど、眼光の精悍さがそれを大きく補って余りある。#fr20_n
— 義忠@諸々活動中「物語工房」 (@yoshitada_n) 2020年1月26日
『レディ・ジョーカー』:「平成」を代表するミステリー映画の傑作といって過言ではない映画です。DVDも出てるけど、劇場の大きなスクリーンで観れて良かった。髙村薫の原作ファンも、そうではないミステリー好きにも、まず観て損はない映画として、お薦めの作品でした。#fr20_n
— 義忠@諸々活動中「物語工房」 (@yoshitada_n) 2020年1月26日