『野獣死すべし(1959)』@池袋新文芸坐(16/6/8(wed)鑑賞)
本日の映画『野獣死すべし』@池袋新文芸坐に劇場入りしました。1959年公開。言わずと知れた大藪春彦原作の、これは仲代達矢主演版。原作発表時に一番近い時期の映画化作品なので、時代の空気感なども原作本来の味わいに近いものになるんでしょうか。#fr16_n
— 義忠@C94 8/12(日)東ユ-10b「物語工房」 (@yoshitada_n) 2016年6月8日
『野獣死すべし』観終わりました。80年公開の松田優作版とは、主人公の名前だけ一緒で、全然別物だな(^_^;; 本邦ハードボイルド作品として、ごく初期に位置する作品なのだけど、既にして批評的で「日本でハードボイルドは成立するか」みたいな話をやたらしている、というw #fr16_n
— 義忠@C94 8/12(日)東ユ-10b「物語工房」 (@yoshitada_n) 2016年6月8日
『野獣死すべし』:帰宅途中の警視庁捜査一課刑事が射殺され、警察手帳と拳銃が奪われた。犯人は、大学生の伊達邦彦(仲代達矢)。英文学のゼミに通い、教授の覚えもめでたい優等生だったが、その一方で、留学資金を作るために、「事業」と称する犯罪計画を着々と遂行してゆく。#fr16_n
— 義忠@C94 8/12(日)東ユ-10b「物語工房」 (@yoshitada_n) 2016年7月17日
『野獣死すべし』:警察手帳を使い、闇カジノの支配人から現金を奪い、その資金を使って大学の入学金を狙う……。一方、犯人像をイメージできない警察の捜査は迷走し、襲ってきた闇カジノの殺し屋ふたりも返討ちに射殺。完全犯罪の愉悦にほくそ笑む伊達。#fr16_n
— 義忠@C94 8/12(日)東ユ-10b「物語工房」 (@yoshitada_n) 2016年7月17日
『野獣死すべし』:だが、同世代の新人刑事の直感が、伊達の存在を捜査線上に見いだす。格差や社会矛盾、孤独に苛立つ若者たちの心を魅了し、無造作に使い捨てて野望へとひた走る伊達。留学も決まり、渡米の日程も迫る中、警察は伊達の証拠を掴むことができるのか……というお話。#fr16_n
— 義忠@C94 8/12(日)東ユ-10b「物語工房」 (@yoshitada_n) 2016年7月17日
『野獣死すべし』:言われてみれば、ちゃんと原作読んだことなかったので、こんな話だったのか、という印象がまずあるけど(^_^;; 映画では警察に逮捕されることを予想させるラストで終わるのだけど、小説ではまんまと逃げ延びて巻を重ね、世界を股にかける大犯罪者になる。#fr16_n
— 義忠@C94 8/12(日)東ユ-10b「物語工房」 (@yoshitada_n) 2016年7月17日
『野獣死すべし』:挙句、最終的には、諜報の世界でフリーの破壊工作員になります(爆 ……いや、それはそれで嫌いじゃないけど(^_^;; ともあれ、大藪春彦作品のアイコン的なスーパー・ヒーローになっていくんだけど、それはまた別のお話。ここでは映画版のお話。#fr16_n
— 義忠@C94 8/12(日)東ユ-10b「物語工房」 (@yoshitada_n) 2016年7月17日
『野獣死すべし』:鑑賞直後のツイートでも触れたけど、そもそも原作のタイトル自体、海外の推理作品からの引用だし、ミステリーというとホラーだの推理寄りの作品ばかりだった時代に、「ハードボイルドってのは、こうやるんじゃー!」と若き大藪春彦がぶちかましたのが、本作品。#fr16_n
— 義忠@C94 8/12(日)東ユ-10b「物語工房」 (@yoshitada_n) 2016年7月17日
『野獣死すべし』:従って「ハードボイルドとは何か」の定義から始めなくてはならない。だって、誰も知らないんだもんw そんなわけで、主人公の通う英文学のゼミで、「ハードボイルドの精神性」について議論するという知的な場面があったりします。#fr16_n
— 義忠@C94 8/12(日)東ユ-10b「物語工房」 (@yoshitada_n) 2016年7月17日
『野獣死すべし』:……まぁ、自己定義するハードボイルドって、何だよって気もするけど(^_^;; 他にも警察幹部が「もう捕物帳の時代じゃない」とか口にしたり、犯人像のプロファイリングを当の本人にやらせてみたりw、とても自己言及的で、いっそ文学的な作品です。#fr16_n
— 義忠@C94 8/12(日)東ユ-10b「物語工房」 (@yoshitada_n) 2016年7月17日
『野獣死すべし』:ちなみに80年公開の松田優作版にそんなシーンがないのは、もうそんな議論が不要な時代になったと言うことなのでしょう。ただ、『野獣死すべし』のオリジンについて考える際に、このメタな自己言及性、批評性を外すと、やはり別なものになってしまう気がします。#fr16_n
— 義忠@C94 8/12(日)東ユ-10b「物語工房」 (@yoshitada_n) 2016年7月17日
『野獣死すべし』:あと気になったのは、作中で若者たちが凄く苛立っていて、閉塞感に喘いでいる。金がなければ進学もままならず、給与は上がらず、要職はすべてコネで埋まってる。犯罪はいけない。そんな、度胸もない。でも度胸さえあったら、自分ももしかして……とみんな思っている。#fr16_n
— 義忠@C94 8/12(日)東ユ-10b「物語工房」 (@yoshitada_n) 2016年7月17日
『野獣死すべし』:同時代の他の映画で描かれる若者像は、そこまで追い詰められていないので、この映画で意図的に選択された演出なのだろうとは思うのだけど、でもこの映画の原作者/脚本家/監督はすべて20代で、それが彼らにとって一面の真実だったのかもしれない。#fr16_n
— 義忠@C94 8/12(日)東ユ-10b「物語工房」 (@yoshitada_n) 2016年7月17日
『野獣死すべし』:そんな時代の閉塞感を、犯罪によって鮮やかに打ち破るヒーローとしての「悪」……伊達邦彦。この映画の中の若者たちは、皆、その登場を渇望しているように描かれる。彼に利用されて、無惨に殺される者も含めて。#fr16_n
— 義忠@C94 8/12(日)東ユ-10b「物語工房」 (@yoshitada_n) 2016年7月17日
『野獣死すべし』:もうひとつ、これも指摘しておかねばならないのは、作中での主人公の目的……「留学費用を稼ぐ」は、あっけなく実現してしまう。凄まじい虐殺の果てに現金を手にした直後に。最初から、犯罪など犯さなくとも、彼には実現可能だった野望だったのだ。#fr16_n
— 義忠@C94 8/12(日)東ユ-10b「物語工房」 (@yoshitada_n) 2016年7月17日
『野獣死すべし』:もっとも、それを知ったからといって、自分の行いを悔いたりはしない。手にした大金をあっさりと別れた女にくれてやり、渡米する。当時の外為法では大金の海外持ち出しが禁じられていたとはいえ、そこに頓着しないのは「動機は金じゃない」と言いたいんでしょうな。#fr16_n
— 義忠@C94 8/12(日)東ユ-10b「物語工房」 (@yoshitada_n) 2016年7月17日
『野獣死すべし』:改めて21世紀の現代に観返すと、日本のハードボイルドが、その始まりから、本能ではなく、自己定義から始まっているという、宿命的な捻れを孕んでいることを、確認せざる得ないです。剥き出しの暴力という、言語で定義せざるものを語る文学であったはずなのに。#fr16_n
— 義忠@C94 8/12(日)東ユ-10b「物語工房」 (@yoshitada_n) 2016年7月17日
『野獣死すべし』:そこはやっぱり、原作をちゃんと読まないとダメですな。この映画だって、原作に対する「批評」であり、メタ的な「再定義」の行為なわけで。ハードボイルドの父祖たるオリジンを確認するのは、それを愛する我ら子らの、義務というべきなのかも知れません。#fr16_n
— 義忠@C94 8/12(日)東ユ-10b「物語工房」 (@yoshitada_n) 2016年7月17日