積読日記

新旧東西マイナー/メジャーの区別のない映画レビューと同人小説のブログ

■Twitter               ■Twilog

■小説を読もう!           ■BOOTH:物語工房
 
各種印刷・製本・CDプレス POPLS

07th Expansion『ひぐらしのなく頃に』

ひぐらしのなく頃に特別編雛見沢村連続怪死事件私的捜査ファイル

ひぐらしのなく頃に特別編雛見沢村連続怪死事件私的捜査ファイル

 つーわけで「鬼隠し編」を終えました。プレイ時間は、ところどころ居眠りしてた分を含めて16時間くらいかな。
 以下、「続きを読む」以降には、若干のネタバレを含むと思われるので、読まれる際はご注意を。
 既に方々に紹介サイトがあるので、あらすじについてはここでは特に言及は避ける。
 ただ、画面レイアウトやSE・音楽のセンス、場面の切り替えタイミングの設定など、同人作品としては非常に高度なレベルで完成していて、既に発表されているコンシューマー化にあたっても、音声を付ける以外は純粋な移植で充分に思えるほど。竜騎士07氏のシナリオを評価する声が多いが、実はこういうプログラムの部分での完成度の高さが、ユーザーがストレスなくシナリオに没入することを支えている側面は、見過ごしてはならない点だ。
 
 そこで、この「鬼隠し編」単独のレビューなのだが、中盤に物語の様相が「反転」する瞬間までが正直、辛かった。オープニングはまぁ、ともかくとして、クラスメートのヒロイン達と主人公が和気あいあいのクラブ活動にいそしむ辺りは、中盤以降の「反転」のためにも構成上、必要不可欠なシークエンスだったことは判るが、さすがに何時間も繰り返されると放り出したくなってくる。この和気あいあいさ加減にゆるゆるといつまでも漬かっていたいという御仁もおられようが、あたしゃ、ダメだ。事前情報として「反転」する物語構造を知っていたので、個々のイベントを裏読みすることでなんとか集中力を維持していたが、何の事前情報もなしに手掛けたゲームだったら「反転」まで辿り着けずに挫折していただろう。
 それだけに「反転」以降、それまで物語上で語られていた物事の意味が一気にひっくり返り、安らぎが恐怖に、信頼が疑惑に、癒しが痛みに、秩序が混沌へと「反転」してゆくカタルシスは凄まじいものがあった。序盤の和気あいあいなゲーム大会の中で主人公が見せた推理力が、「反転」以降の世界で彼の周囲への疑心暗鬼を加速させ、彼自身をカタストロフへと引きずり込んでゆく様には唸らされた。
 ライターの竜騎士07氏自身が各所で言及していることではあるが、日常の風景の脇に一本補助線を引いてそこから眺めたとき、世界観ががらりと変わって見えると言うのは、まさしく人が「物語」に求める機能のひとつで、それに正しく応えた本作品は優れたエンターテイメントであることは間違いない。
 
 更にこの「鬼隠し編」から離れて『ひぐらしのなく頃に』全体を見ると、非常に面白い構造をしていることが見て取れる。
 この「鬼隠し編」に続く「綿流し編」では、もう一度、「同じ事件」が語り部(主人公)も同じ、主要登場人物も同じで「語り直される」という。
 これはどういうことかというと、おそらく、以下のようなことなのだと思われる。
 

  1. 世界観の中核に「事件の真相」がある。
  2. その上位に、物語中で発生した「事象」が存在する。ここでの「事象」は、「真相」によって雛見沢村で引き起こされる様々な事件・現象を指す。
  3. 事象」をユーザーに提示する「表現」として各エピソードが存在する。ただし、各エピソードはあくまで発生した「事象」──「雛見沢村連続殺人事件」の真相を推理するために創られた「物語」に過ぎないので、同一の事件、同一の時間軸、同一の登場人物で別の「物語」という「語り直し(再話)」が行われる。
  4. これらの「語り直し(再話)」の繰り返される各エピソードを読み進めながら、ユーザーは「事件の真相」を推理してゆく。

  
 もっと判りやすい言い方をするなら、実在する「雛見沢村連続殺人事件」をA局とB局の2つの放送局が別々の脚本でドラマ化し、視聴者はそれを観比べて「真犯人は誰だろう?」と推理している状況といったところか。
 この物語の「消費構造」を思いついた時点で半分勝ったようなものだが、実はそれほど画期的な話でもない。
 いわゆる美少女ゲーム、ギャルゲーと呼ばれるゲーム群は、ユーザーの嗜好に合わせた多彩なヒロイン達の物語をひとつのパッケージで提供するために、ヒロインの数だけハッピーエンドとバッドエンドの物語を同一の世界観に押し込んできた。主人公のルートの選択によって発生するイベント、しないイベントはあれ、全シナリオを通して見るとそれなりに統一された世界観がユーザーに提示される。*1月姫』などはその典型的な例で、全ヒロインのルートを終えると大伽藍のように「奈須伝奇ワールド」とでも言うべき世界観が浮かび上がり、それを総括する隠しシナリオが起動するという構造を持っている。
 更にそれを今度はユーザーが同人などで二次創作として楽しむ際、世界観の大枠は守りつつ、自分なりのエピソードを考えたり、原作のエピソードの意味をずらしたり、解釈しなおしたりしてきていたのだ。
 日本のゲーム同人の世界は、そうしたことをおよそ20年もユーザーとメーカーの間で繰り返してきた。その果てに、その消費構造自体を作品の価値の根幹に据える本作のような作品が出てきたことは、ある種の必然であったと言っていい。同人ユーザーが「同人(2次創作)」という相(レイヤー)で行っていた営みを、作品パッケージ内に取り込み、原作ゲーム未プレイの同人読者が2次創作のコミックや小説を通して作品世界を楽しむ姿にも似た本作の「消費構造」に辿り着くには、現代のオタクであればそれほど劇的な発想の転換はいらなかったはずだ。
 ただ実際のこの作品が成功したのは、残り半分の力──シナリオやプログラミングを含む「パッケージ化能力」が卓越していたからで、おそらく少なからずいたであろう思いついていただけの連中との越えがたい一線はそこにある。*2
 
 さて、これから「綿流し編」「祟殺し編」とプレイしてゆくわけなのだけど、次の「綿流し編」がまた長いと聞いて、ちょっと腰が引けてたり。
 まぁ、夏コミまでにはクリアを目指しましょう。

*1:無論、そうでないものもあるが。

*2:正直告白してしまうと、NScripterを使ってある種の「電子ブック」として選択肢なしの小説パッケージを創れないかというアイデアだけは私にもあった。「あっただけ」のヘタレのひとりだったので、ここでこんな文を書いているわけだ。