積読日記

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『SHUFFLE!』第19話「忘れ得ぬ想い」

 番組そのものを未見の方に非常に荒っぽい要約をしてしまうと、基本的にはエロゲー原作ものにありがちなご都合主義ハーレム・アニメ。主人公の周りには同居している幼馴染から、ボクっ娘喋りの気になる先輩に神界&魔界のお姫様sの押しかけ女房、人造人間のロリっ娘まで一式揃っているという、まぁ、その、この手の話のテンプレートみたいなぬるいラブコメ作品でした。主人公の一挙手一投でヒロイン達が勝手に癒されてくれるという、ね。それでもこのアニメ版は、腕のいい演出・作画陣のおかげでそこそこ観てて飽きない作品でもあったわけです。
 で、今回の話は、それまで主人公の身の周りの世話を甲斐甲斐しくこなしながら、他のお嬢さん方といちゃつくのを微妙な微笑みで見守ってきた(ように見えた)幼馴染のヒロインが、どうやら主人公が他のヒロインに本気になって自分を顧みなくなり、挙句の果てに自宅にまで連れ込むに至ってついにぶち切れた、と。そんなお話。
 ここまでだと至極ごもっともな話というか、世の中の女性の「だめんず話」の3件に1件にはこの手のエピソードが含まれてそうなありふれた話。
 ただここでのポイントは、主人公とヒロインの関係性の設定で、単純な恋愛関係からの修羅場としていない点。ヒロインは幼い頃の母の死をきっかけに一旦、激しい精神衰弱に陥ったものの、母の死の原因を主人公の所為と思い込んで数年に渡って憎悪をぶつけ続けることで自我を維持してきた。それがすべて主人公がヒロインのためにそう仕向けたためと知って、それまで自分がしてきたことの贖罪の意識から、現在の主人公への盲目の献身へと「反転」したものの、その献身の対象が喪われる可能性が出てきたことで恐慌状態に陥って今回の修羅場につながった、ということらしい。加えて演出が神掛かっているものだから、下手なサイコ・ホラーが裸足で逃げ出したくなるようなエピソードになってしまっているわけだけど。
 それって「恋愛関係」というより「依存関係」というべきのような気もするし、主人公はいらん民間療法なんぞ施さずにとっととヒロインをクリニックに連れてゆくべきのような気もするが、まぁ、主人公側にもそこまでヒロインを「依存させねばならない理由」があったのでしょう。作中では「ヒロイン→主人公」の一方通行的な「依存関係」しか触れられていないので、ずるいんだけど。そうであるならばふたりの関係はある種の「共依存関係」にあったと見るべき。いや、むしろ「共犯関係」というべきか。そこから主人公がひとりで抜け出そうとしてるんだから、そりゃヒロインは怒るよな。
 現実問題として、世の中の男女の関係のすべてが自律した精神が相互にリスペクトしあえるような在り得べき関係にあるかというと、勿論、違うわけです。どちらかの一方的な依存関係だけで成立しているカップルも少なくないし、それが反転・逆転する瞬間こそ恋愛の最大の醍醐味とも言える。あるいは、そうした関係性の反転・逆転の繰り返しを経て、数十年かけて成熟した関係に辿り着く夫婦もいるでしょう(勿論、その逆のケースとして熟年離婚なんてものもあるわけで)。
 だから、こういう病的な依存関係から始まる恋愛もあっても悪いわけではないのだけど、ここでより注目して見なければならないのは、ベタ甘なハーレム・ラブコメとして始まったこの物語になんでそんなものが必要なのか、ということ。
 別にわざわざこんなきついトラウマ用意しなくても、普通の恋愛関係の修羅場だっていじゃん。

 それはまったくもっともな話なのだけど、クリエイター側はそれではお話として「弱い」と感じてしまったのではないか。この場合の「強弱」は物語の中での説得力のことです。ヘタレな主人公に対して無限の包容力と寛容を持って接し続けるヒロインを作中に出すにせよ、その「理由」を示さないことには、まず表現する側も物語に納得できない。
 そこをもう少し意地悪な見方をすれば、それは現代男性の抱える「不安」の顕れとも言えるかもしれない。「愛される理由」(つか、ここではもはや「執着される理由」だけど)が明確でないと物語に没入することができない。これはこの作品の制作者達だけでなく、この手の「鬱展開」を売りにしている作品が後を絶たないことや、こうした展開に狂喜して2chやアニメ感想系のブログで「祭り」を展開している連中がこれだけいることを考えると、ある程度の普遍性を持った感覚と認めてもいいでしょう。
 では、その「不安」がどこから来ているかというと、よく言われることだけど、恋愛や人間関係における流動性の高まりがそこにあるのじゃないか。要するに、くっついたり別れたりが頻繁に起こっている状況のことです。SEXや結婚が安定した関係のための何の約束にもならない。『NANA』のハチは妊娠していても婚約者以外の別の男にトキメクし、何十年もの夫婦生活の果てに辿り着くのが熟年離婚では救いがなさ過ぎる。それは束縛されないことの自由でもあるのだけど、「選択される側」はたまったものではないよね。それでも、そもそもマルチヒロイン前提のエロゲー、ギャルゲーの世界観自体、男の側からの「選択の自由」を保証しているのだから何をかいわんや。
 そうした人間関係の中で「自分だけを見て」くれる「理由」を設定しようと思えば、それはよほど強固なもの――より厳しく、過酷なものにならざる得ない。本来、能天気なハーレム・ラブコメでいいはずの物語が、悲劇性の強い「鬱展開」に向かいがちなのは、こう考えてみると必然なんですね。男の側に都合の良いハーレム的な設定になればなるほど、その「言い訳」として「鬱展開」もまたより激しくなってくる。
 ただし現実の人間関係では、個別の「理由」に深入りせず、相手に合わせてTPOを使い分け、振られたら振られたで「あっそう」とさらりと切り替えて次の女の子に向かうくらいのタフなコミュニケーション・スタイルの方が遥かにモテます。それで本人がどこまで精神的に充足できるのかまでは知りませんが、「理由」だの「運命」だのをいきなり持ち出す輩は「重い」と嫌われる。まぁ、持ち出すにしたってタイミングを考えろってことですよね。ふたりの間で共通の物語性(ロマンス)が成立してからなら関係の補強材としてアリなのでしょうが、勝手に盛り上がられてもそりゃ引くよねって話。ただ、男にせよ女にせよ、コミュニケーション・スキルのない(非モデな)人間ほど、この出逢いを「特別なもの」として劇的な物語(ロマンス)に早く持ち込みたくて焦る傾向はあるでしょう。えぇ、そうです。僕自身の痛烈な反省を踏まえて(苦笑)。
 だけどそんなコミュニケーション・スキルの高いキャラが「主人公(ヒーロー)」となる話より、そうではない不器用なキャラが主人公(この作品の場合、ここ数話で意図的に主人公のコミュニケーション・スキルが落とされている傾向すらある)となっているのは、やはりその方が視聴者にとって共感を得やすい、感情移入がし易いのだと制作側が判断しているということなのでしょう。

 今回のこのエピソードは、そうした若い男性向けコンテンツのひとつの傾向に従って語られています。別に制作側が「受け」だけを狙ってそうしているというより、作品の基本設定や現在(いま)という時代の空気を誠実に読み込んで反映した結果として。
 ただこれから創作に携わろうと志す人は、ちょっとづつでもいいから「そこから先」にも目を向けて物語を紡いでゆく必要があるのかなぁとも感じています。
 それがどんな「物語」であるのかまでは、なかなか見えづらいんですけど。