積読日記

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桂正和『I''s』

I”s Pure<2> souvenir【回想】 [DVD]

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I”s完全版 1 (ヤングジャンプコミックス)

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 前回も書きましたけど、割とメモ書き的なノリでとりとめもなく書いてますので、あまり資料的な価値とか正確さは求めないように。
 あと、これも保険ついでに触れておくと、「少年誌における恋愛コミック」というテーマを本気でやるなら、桂正和以前からのジャンプ編集部の試行錯誤や、何より70年代の『かぼちゃワイン』『跳んだカップル』以来、現在の『涼風』『スクールランブル』まで続く「少年マガジン」の一連の作品群も無視するのは拙すぎる。とは言うものの、本気でそこまでやりだすと現代マンガ論の本が軽く一冊書けちゃうボリュームになるので、ここはあくまで『I''s』という作品を通じての論点中心で話を進めます。
 基本的に自分は無責任、読者(みんな)は自己責任、というどこかの国の総理大臣のノリでゆくのでよろしく。
 それから以下はネタバレ全開です。 
 とりあえず思いつく限りのクギも刺したことだし、そろそろ本題に入りましょうか。
 
 今回、新装版で2巻までの序盤の下りを読み直してみて、改めて思い知らされるのが、この作品の見事なまでの完成度。勿論、当時の4大少年誌のすべての連載作家陣を見渡しても、群を抜いて美しく緻密であった作画に見惚れてしまったことは言うまでもないのだが、演出の組み立て、キャラ設定を含む世界観の構築、どれを取っても「少年誌の恋愛マンガ」として隙がない。良く読むと、実は新しいことは何もやっていないことが判るのだが、それだけに手抜かりなく創り込まれた物語設計の凄みが際立つのである。
 物語冒頭の第1話の流れを例に、具体的に見てゆこう。
 まず主人公の一貴(イチタカ)。高校入学以来の憧れのクラスメート、葦月伊織が水着姿で雑誌のグラビアに載ったと知っても、ため息をついて眺めるしかない情けないヘタレ少年であることから物語はスタートする。桂正和の超絶的な技巧で描かれたカラー頁の伊織のグラビアで読者の目線を掴み、次いでこのマンガを読む大多数の男子中高校生とおそらく同じレベルの恋愛への臆病さを示すことで主人公への感情移入を促す。
 そこへ伊織に関しての情報を的確に提供し、また必要に応じて背中を押したり、ブレーキを掛けたりする、在るべき方向へと主人公を誘導する、作者の代理人にして物語の水先案内人たる親友の寺谷の登場。読者の現実からすれば、こんなドラえもんのごとき友人が身近に居ること自体、既にファンタジーなのだが、そこは絶妙のさじ加減で「有り得ない!」と怒り出すほどの違和感は感じさせない。こうやって、さりげなく作者に代わって物語の流れをコントロールするキャラを主人公のそばに置いてしまう手際のよさには舌を捲く。
 そこから主人公のかつての失恋のトラウマともうひとりのヒロイン・秋葉いつきとの幼い日のエピソードを説明し、主人公のキャラの特徴である「逆走くん」振りとその人格がどのような精神構造で構築されているかを実に明快に示してしまう。
 ここまでで扉を含めて僅か17頁。実質16頁で、作品の基盤となる人間関係、キャラ設定、これから語られる物語の可能性をきっちり語り終えている。
 そこから主人公とヒロインの関係が近づいてゆく直接的なエピソードへと入り、その過程で大ゴマを多用してころころ変わるヒロインの表情を魅力たっぷりに描きながら、最後は「ヒロインに誤解されたかも」という不安に感じさせる落ちで次回に「引く」――「第1話」の教科書のようなエピソードだ。これ以上、何を足す必要も引く必要もない。見事の一語に尽きる。
 この後も主人公の内面に沿って語ることで、恋愛の高揚と不安をジェットコースターのように目まぐるしく切り替えつつ物語は進んでゆくこととなる。
 まぁ、そうは言っても全15巻に渡る長期連載だけに、作品全体の構成としてみると瑕疵がないわけではない。ラストでややヒーロー物っぽい展開へと向かうのはご愛嬌であるにしても、2大ヒロインの片方のいつきを途中で彼女を舞台から下してしまったり、王様ゲームツイスターゲームの話などのお色気ネタの引っ張っり方がやけに執拗だったりと、いささかバランスを欠いている感もなくはない。
 いつきの降板については、彼女があまりに一途で健気でありすぎ、あのままだと、どうあっても一貴と結ばれなくては話が収まらないところまでいきかねなかったことを考えると、やむを得ない展開であったことは理解できる。この作品を「一貴と伊織の物語」とした場合、作品の根幹をひっくり返しかねない存在となってしまっていた。しかし、中盤から出てくる後輩の泉など、作中でさえ「いつきと似ている(位置付けが似ている)」と言及されているくらいだから、いつきをもっとうまく使っていれば彼女で対応できない役回りではなかったはずだ。結局のところ、物語の設計をもっと慎重にやっていれば、一貴、伊織、いつきの三角関係に集中させて5巻くらいのボリュームで済んでいた可能性がある。もっとも「連載を可能な限り続ける」というのも作者にとっては重要な課題であったのだろうから、長期連載に対応できるようにキャラの組み変えを行ったのだとも言えるが。
 そうした問題点はなくはないのだが、それを補って余りある魅力に満ちている。
 作品構造的な話をするなら、この作品の面白さのひとつは「恋愛マンガ」でありながら「努力・友情・勝利」のジャンプ哲学をきちんと組み込んでのけている点にある。
 主人公はヒロインとの恋愛以外に別に、スポーツや勉強で何か目標があるわけではなく、大学受験にも一度落ちる。終盤にはアイドルとしての道を選ぶ伊織のかたわらで、一貴の自分探しが最大のテーマとして押し出されてくる。それのどこが「努力・友情・勝利」なのかといえば、恋愛における個々の局面における、告白するのしないの、行動するのしないのといった葛藤のひとつひとつが「努力」、その葛藤を寺谷やいつきからの「友情」に支えられて乗り越え、伊織の好意を勝ち取ることができるという「勝利」である。
 現実の恋愛はそれほど単純な構造はしていないが、この物語は「少年誌の恋愛マンガ」であるので、ここはファンタジーでいいのだ。ハードボイルドな現実認知を求められたら、ピュアな童貞男子の恋愛願望など瞬殺されてしまう(笑)(もっともこの辺の立ち位置の中途半端さが、この作品の大ヒット化を阻害する要因ともなったと考えられるのだが、これについては次回改めて考察する。)。
 さらにこの作品が恋愛マンガである以前に「少年誌作品」として優れているのは、上記の「努力・友情・勝利」を踏まえた上で主人公の「成長」を描く教養小説(ビルデゥングスロマン)でもある点である。恋愛が人を成長させるのは、その成就の成否を問わずそれが「他者」や「世界」との真剣な対峙なくして成立しない行為であるからだ。主人公の内面語りを通して綴られてゆくこの物語では、ヒロイン達との関係を通じて主人公が視野を広げ、ヒロイン達だけでなく周囲の人々への思いやりを深めてゆく過程が丁寧に描かれてゆく。第1話では寺谷ひとりしか友人らしい友人のいなかった一貴が、最終話で大勢の仲間達に囲まれていることが示されている辺りなど非常に象徴的だ。この作品は主人公がヒロインと結ばれるまでを描く恋愛物語であると同時に、ひとりの少年の内的成熟を描く物語でもあるのだ。
 その意味で、少年誌の読者層である主人公と同年代の男の子たちにこそ、是非とも読んでおいて欲しい作品である。その時代に出逢っていれば、充分に君の青春のバイブルとなり得る作品なのだから。……。
 
 ――とまぁ、絶賛したものの、残念なことに、ここで褒め称えたほどにはこの作品は売れていない。
 OVAとは言え、2度もアニメ化されるくらいだからそこそこのヒットではあるし、ジャンプ・コミックス版の巻末投稿ハガキを見る限り女性受けも悪くなかったようだ。個人的にエバーグリーンな作品としている読者も少なくはなさそうだが、ジャンプ編集部が宿願としていた『タッチ』並みの社会現象を引き起こすほどの作品とはならなかった。社会的影響度で言えば、深夜とはいえ地上波TV放送の行われた『いちご100%』ほどにも達していないのではないか。ジャンプ編集部が数多の連載作品群を通して遂に辿り着いた究極の恋愛マンガと言っていい、本作であるにも関わらず、だ。
 前回も触れたが、それは本作が正統派の「恋愛コミック」でありながら「萌え」の時代の帳(とばり)に立つ作品となってしまったからだ。この作品が連載を終えたとき、この作品は既にして「古典」と化してしまっていたのだ。
 それは具体的にどういうことなのかを次回に触れたい。