積読日記

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豪屋大介『A君(17)の戦争』第9巻

 何か半年ほどほったらかしにされている別のシリーズの方が先に出るはずだったような気もするのだが、あとがきでも一言も触れられていないのできっと気のせいかな(笑)。
 今回も引き続き総力戦の真っ只中。ひたすら「戦争、戦争、戦争!」のお話。
 戦略級の視点から末端の新兵まで目配りを利かせて描く辺り、相変わらずそれなりに面白いんだけどね……。
 ただ、ときおり滔々と語られる戦争観(「軍事観」ではなく)が、中途半端に稚拙なのが気に掛かるんだよなぁ。
 今回の場合、ネオコンが嵌った空爆万能主義を「戦争を飼い慣らす法」として主人公に説かせてる。
 この作者の場合、肝心なところですっ惚ける悪い癖*1があるので、どこまで本気で書いているのか良く判らないのだけど、とりあえず作中で感情論以上の有効なカウンターを描いていないってのはちとまずい。政治や軍事に疎い、年若い読者だと本気にしかねない危険性があるので、ここで問題点を簡単に(と言っても結構長くなったが)指摘しておく。
 
 ここで言う「空爆万能主義」というのは、米国を中心として生まれた電子化・情報化技術を大規模に軍事に取り入れるRMA軍事革命)の延長線上にある考え方で、精密爆撃技術で敵の政治・軍事・通信の中枢のみを破壊し、市民には犠牲を出さない「きれいな戦争」が出来るという考え方。これにより敵国の政権と市民を切り離して「戦争」を遂行できるので、敵味方とも死傷者を最小限に留めることが出来るとし、作中ではその例としてコソボ空爆が挙げられている。
 勿論、誤爆もあるだろうが、それは「看過すべき犠牲(コラテラル・ダメージ)」だとまで言ってのけてる。
 隔絶した軍事力を誇る大国――現実には、歴史上、現代の米国にしか出来ない考え方だし、それも後述するように、常に成功している訳ではない。
 この「空爆万能主義」に対する反論として作中で言及された「戦争に対する冒涜」というのはあるだろうけど、それだけだと本当に感情論で終わってしまうので、ネオコンのような確信犯には通用しない。
 より合理的な反論をさせてもらうと、大体以下のようなことになる。
 
1.作戦地域に対する精度の高い情報収集・分析・評価体制の裏打ちが必要
 現代の最先端の軍事技術であれば、「外科手術的(サージカル)」と表現されるほど精密な爆撃が可能であるとはいえ、吹き飛ばす対象が本当に「正しい標的」であるかどうかを知る術がなくては意味がない。
 それを実現するのは常日頃からの諜報・分析活動の積み重ねで、数年から数十年の単位でのその地域に対する継続的な監視が必要となる。
 「偵察衛星や空撮があるじゃん」という意見もあろうが、衛星がいつ上空を通りかかるかなどいくらでも調べる術があるし、そもそも「上から見られる」と初めから判っていれば誤魔化しようはいくらでもある。
 空爆の成功例とされたコソボでも、森の中に隠れた機甲部隊には大して効果はなかった(だからNATO軍は首都の爆撃に踏み切らざるえなかったという事情もある)。
 近隣の仮想敵国に対するこうした諜報活動くらいならどこの国でもやってるだろうが、全世界規模で活動する米国のような国が世界中のあらゆる地域に対してそこまでの精度を持ち続けることなどありえない。まず金と時間が掛かりすぎるのだ。特定の地域の専門分析官一人を育てるのに、どれだけの手間が掛かることか。事実、ソマリアでは失敗した。コソボの場合は英・独・仏などのEU各国の諜報機関からの支援があったればこそだし、イスラエルの全面支援を受けたイラク戦争でさえ固定目標をあらかた吹き飛ばし尽くしてからはあまり成功しているとは言い難い。
 
2.非対称性紛争には不向き
 「敵の指揮中枢を破壊する」戦法とは、逆に言えば「中枢の存在しない敵には意味を成さない」ということでもある。
 なるほど、イラクでも軍隊や政権がその体を為していた緒戦においてはまだ効果があったが、日々、というより時々刻々と合従連合を重ねる戦後のゲリラ達にはあまり効果を出せていない。戦術的な意味での司令部くらいはあるだろうが、戦略的な「中枢」は常に流動的だからだ(勿論、当事者達も好きでそうしているわけでもないのだろうが)。
 正規の国家や軍隊が、こうした有象無象のゲリラやテロリストと相対しなければならない羽目に陥ることを「非対称性紛争」という。
 で、結局、どういうことになっているかというと、高度で高価な精密爆撃技術を使って、「怪しそうな」などという決して「精密」ならざる判断基準で標的を吹き飛ばし、敵の軍事リソース(兵器や兵員)を磨り潰してゆく日々がイラクでは続いているわけなのだが、当然、誤爆に伴う住民感情の悪化で、ゲリラに身を投じたり少なくともゲリラへの心情的なシンパは増えてゆく。そうした住民の反抗心すらへし折るほど激しい軍事的衝撃を与えるというのも手ではあるが、そこまでしておいて「きれいな戦争」もへったくれもなかろう。
 ついで指摘しておくと、アルカイダのような最近のイスラム原理主義系テロリスト達も、「反米武力闘争」という思想的同位性を持ちつつも、活動の主体的判断は個々の細胞単位で行うという緩やかな群体と化しつつある。『攻殻機動隊S.A.C.』流に言うなら「スタンド・アローン・コンプレックス」という奴だ。彼らはインターネットを通じて映像やテキストで自らの思想を伝播し、貧困や差別という社会の構造暴力を苗床として増殖する。こうした敵に対して、軍事作戦は当面の対処療法としての意味合いしか持たない。本質的には社会そのものを改革して、貧困や不平等と地道に対峙してゆくしかないのだ。
 
3.倫理の退廃
 イラク911以前から、「トマホーク外交(ディプロマシー)」なる言葉があるほど米国は空爆巡航ミサイル(トマホーク)攻撃を多用してきた。理由は勿論、自国の兵士に死者を出さずに済むからだ。
 だが、身近な人々の血が流れない戦争に、国民も為政者もどこまで真剣に身を置いて考えられるか疑問だ。作中でも指摘されているが、安易な軍事作戦に繋がるのではないかという疑念がどうしても残る。事実、イラク開戦時のあの目も当てられないよう言いがかり様は、普通に考えればとても歴史の検証に耐えられるものではなかったが、米大統領執務室(オーヴァル・ルーム)の面々はマスコミ操作でどうにでもなると思い込んでいた節がある。*2
 「戦争はいけません」という表面的な話をしているのではない。相手だって人間なのだ。例えどんなに格下の相手でも真剣に対峙しなければ足元を掬われることもある。
 戦争とは、最前線の兵士から最高指導者まで、政治的、軍事的なぎりぎりの判断と決断の積み重ねだ。その判断の基盤となるのは、己自身が何者であるのかを規定する倫理である。それがない者は、余裕がなくなるとどうしても状況に流される。そして、状況に流されるだけの行為を「決断」とは言わない。
 戦争における倫理とは、敵のためにあるのではない。極限状況の中で正しい決断を掴みとるために必要な資源(リソース)なのだ。 
 
 基本的にこの作品で描かれている「戦争」は第2次世界大戦型の総力戦で、現代の最新の戦争観とは必ずしも合致しない。「物語」としては、別にそれでもいい。だが、それを現実の政治や軍事に当て嵌めるには慎重に行わなければならない。
 海軍だけで11個も空母戦闘群を保有し、そのそれぞれが小国の空軍くらいの戦闘力を保有しているような米国に総力戦を挑もうなどという国は今後はそう現れないだろう。当然、抵抗しようとするものは、テロのような非対称性手段や中国やロシア、ベネズエラが行っているような外交・エネルギー戦略での抵抗手段を選ぶ。そうした局面では軍事が意味を為さないとまで言わないが、軍事だけでは問題は解決しない。
 一方で米国自体、イラクとアフガンという2つの戦線を維持しながら、「再編」という名の世界規模の大規模な縮軍を実施しようとしている。米国が膨大な双子の赤字貿易赤字財政赤字)を抱えつつ、現在のような他国と隔絶するような軍事力を維持できているのは、米国債を使って日本や中国などアジア諸国の余剰資金を吸い上げる金融植民制がまだ機能しているからだ。*3米軍が「再編」を急ぐのは、それが破断する瞬間がいずれ訪れると予期しているからかもしれない。
 覇権国家たる米国の軍事プレゼンスの低下に伴って、地域覇権の再編過程として今後「紛争」や「戦争」が多発することが考えられる。その過程で、米軍が情報的な優位を保てる戦域で空爆は今後も多用されるだろう。ただ、それが効果を持つのは必要な条件を満たせるときだけで、非常に限定的なものだ。「戦争を飼いならす法」として普遍的な概念とはとてもなりえない。こんなものを盲信するくらいなら、孫子でも読み直した方がまだましだ。
 
 正直、ちょっと良く判らないのは、作品本文を読む限り、この程度のことも理解できない作者には思えないことだ。その一方で捻くれた性格であろうことは良く伝わってくるので、「良識ある大人」が嫌がる意見を弄ぶことがただ単に楽しいというだけのような気もする。この巻のあとがきで知り合いから「ネトウヨ」扱いされたと憤慨しているが、リベラル色の強かった上の世代への感情的反発以上の思索の深みが感じられないという意味で、「ネトウヨ」「ぷちウヨ」扱いされてもしょうがない面はある。
 この辺の未成熟さが、10冊以上も本を出していていまだに佐藤大輔の「代用食」扱いから抜け出せない一因だと思うのだが。

*1:自分の立ち居地を都合のいい「安全地帯」に置いてるだけとも言える。

*2:まぁ、米墨戦争の昔から、あの国の開戦理由は大概安い言いがかりなのだが。

*3:無論、「搾取」される側にもメリットがなければ、こんな体制が何十年も続くわけがない。