積読日記

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義忠『棺のクロエ2 超高度漂流』第9回

9

 第3甲板、船主部にある展望ホール──位置的には装甲ジャイロに吹き飛ばされた操舵室(ブリッジ)と通信室の直下に当たる。
 船主側三面を強化ガラスで囲まれたその場所で、クロエは目を閉じて腕を組み、ガラス壁に背を凭れていた。
 透明度の高いガラスの向うは、超高度の夜空。吹きすさぶ高速(ジェット)気流越しの満点の星空は、地上で見るより激しく瞬いて見える。
 襲撃直後には夜景を目当てにかなりの数の乗客が集まっていたはずだが、今は誰もいない。皆、管理のしやすい別のホールに集められているのだろう。
 その照明(あかり)も消えた無人の展望ホールで、クロエは静かに待ち続けていた。
 と、ホール後方両脇の扉が吹き飛び、一団の兵士達が雪崩込む。最下層甲板にいた者たちとは違う、手足や胸部の異様に太い機人兵(マシーナリィ)たちだ。
 数人の機人兵たちは壁に沿って素早く展開し、クロエを包囲する。
 最後にひょろりとした長身の機人(マシーナリィ)がフロアに姿を現した。鈍い金属製の薄い装甲帯を包帯のように全身に捲き、貌(かお)は表情のない白いマスクで覆っている。赤毛の長い髪は、後ろで結んで背中に流している。
 男は兵士達を従えてクロエの正面に立つと、腰の後ろに挿した二刀の長刀を一気に抜き放った。可聴域を越えた高周波振動が共鳴し、微かに空気が震えている──少佐の軍刀(サーベル)と同じ高周波振動刀、しかも出力(パワー)はけた違いに強力な代物だ。機銃弾の直撃にも傷ひとつつかなかったクロエの身体でも、どうなるか判らない。
 だが、クロエは動ずるでもなく、薄く目を開いた。
「遅いわよ、あんた達」クロエは告げた。
「待ちくたびれて、あくびが出そうよ」
 
「──始まりは三〇年前、若手研究者のひとりでしかなかった博士に『組織』が接触した辺りからかしら」
「『組織』?」
「当時は〈財団(ファウンデーション)〉と呼ばれていたそうよ。今は〈大聖堂(カテドラル)〉と名乗ってる。まぁ、連中にとって名前なんてどうでもいいのよ。所詮は記号でしかないし。
 彼等は『原書(ザ・ペーパー)』と呼ばれる技術情報を、俗世の技術者や政治家、企業家に提供して、技術開発や産業構造を自分達の望んだ方向に誘導しているの」
「よく判らんな。技術を持ってるんなら、自分達で造ればいいだろうに」
「彼等は情報として持っているだけなのよ。それが何なのか、事によっては何のための技術なのかも理解できていない。
 例えば『合成樹脂(プラスティック)』という言葉があるとして、それが何なのか、どんな物理特性をもつのかを理解できなければ、『合成樹脂(プラスティック)』を使用した技術体系はまるごと理解も再現もできない。
 だから、現実の技術者や産業基盤を育んで、現場の知識や経験を元に解析をしなければ『原書(ザ・ペーパー)』は使い物にならない。
〈大聖堂(カテドラル)〉が『原書(ザ・ペーパー)』の解析を求める分野は多岐に渡って、〈帝国〉以外の国々も対象となっているのだけど、その内のひとつのプロジェクトが博士の手掛ける機械生体学──機人化技術だったのよ。
 やがて時を経て、〈帝都〉の帝立大学に設けられた博士の研究室で、あたし達は出逢った」
「あたし達?」
「あたしと、やがて後に爆発消失した研究所で副所長を務める男女ふたりの研究者──どちらもあたしのライバルで、大切な親友だったわ」
「………………」
 
 クロエが凭れていたガラス壁から背を離し、ゆっくりとフロア中央へ向けて歩き出す。
 機人兵達は完璧に同調した動きで、一斉に銃を構えて腰を落とした。
 と、足に履いたブレード式のローラーが駆動し、ダッシュを開始。耳触りなモーター音の重奏を奏でながら、円を描くようにクロエとの距離を詰めてゆく。
 クロエもまた床を蹴って走り出すが、機人兵の包囲の輪もそれに合わせて移動する。
 やがて、機人兵達は手にした動力機銃を、次々に発砲し始めた。
「くっ……!」
 動力機銃はライフル弾を使用した小型の物だったが、それでも人体を破壊するには充分以上の能力を有している。流れ弾が当たれば機人兵自身もただでは済まないはずだが、高速移動する互いの位置を正確に把握しているのか、躊躇うことなく銃撃を重ねてゆく。
 クロエの身体に着弾した銃弾が、赤い火花を放って弾ける。いずれも貫通することなかったが、運動エネルギーまでは殺せず、着弾ごとに殴りつけられたように体勢を崩す。
「こいつら……!」
 苛立ったクロエが距離を詰めようと近づけば、機人兵達はさっと後方に下がり、彼我の距離を維持し続ける。
 その間、先刻の二刀の男は、じっとクロエの動きを睨んで動かない。
 やがて、クロエの動きが鈍ったのを確認した機人兵達が、一斉に投射機でワイヤーを放つ。
「!」
 あっという間にクロエは全身をワイヤーで絡め取られてしまう。
 そこへ、いきなり二刀の男が床を蹴り、上空からクロエに襲いかかった。
 
「あたし達はどこへ行くのも一緒で、いくつもの共同研究を成功させていった。
 だけどやがて、博士の活動が政治的な側面を帯びるようになっていった時、あたしは博士の秘書的な仕事を担当するようになり、ひとり研究の現場を離れることになった。
 それは研究者として限界を感じていたこともあったけど、彼が私ではなく彼女を選んだから──よくある話よね。
 その内、あたしは〈大聖堂(カテドラル)〉にスカウトされた。かつて博士に接触したのと同じ、俗世との接点となるエージェント──〈伝道師(プリーチャー)〉として。
 そしてそこで、あたしは取り返しのつかない過ちを犯してしまった」
 
「……ったく!」
 舌打ちしたクロエは全身を力ませると、絡み付くワイヤーを一気に引き裂いた。
「うざい攻撃してんじゃないわよ!」
 ワイヤーの一本を?むと、その先にいる機人兵ごと力づくでひっぱり襲撃軌道にある空中の二刀の男に叩きつける。
 二刀の男は、目にも留まらぬ高速の剣技で機人兵の身体をばらばらに解体し、血煙とともに床に着地する。
 それをわずかに身を引いて避けたクロエは、着地したばかりの二刀の男に蹴りを叩き込んだ。
 避ける間もなく、二刀の男は後方の壁面にふっ飛ばされ、背中から壁を突き破る。
「次!」
 振り返ったクロエへ機人兵が銃撃を加えようとするも、その時には既にクロエの姿はない。
「あんた達は──」
 耳元で囁くその声に振り返ろうとするその機人兵は、自分の胸元から青白い燐光を放つ刀身が伸びていることに気づき、マスクの下で驚愕に表情を歪ませた。
「どいつもこいつも、動きが鈍すぎる。
 悪いけど、恨むんなら、そんな性能であたしを殺(や)れるだなんて思い込んであんた達を送り込んだバカを恨んで頂戴」
 言い捨てると、左腕の刀身を一気に引き抜き、返す刀で目の前の機人兵を真っ向から斬り捨てた。
 
「〈伝道師(プリーチャー)〉として活動するようになっていたあたしが、研究所副所長となった彼と久しぶりに再会した時、彼の精神には既に壊れ始めていた。
 ひとつは戦争が本格化して、短期間で次々に研究の成果を求められるようになったこと。研究所の名目上の責任者は所長である博士だったけど、博士はますます〈帝都〉での政治的活動に没頭するようになっていて、現場の統括者として彼の担うべき責任は重くなっていた。
 加えて、戦争の激化に伴って、現場では人体実験などの倫理規範も緩みがちで、平時なら問題視されるような実験が当たり前のように繰り返されていた。
 そして何より、妻となった彼女が出産を境に身体を悪くし、産まれた子供も重度の未熟児で大きくなってからも生命維持装置を必要な身体だったこと──彼はそれらの解決策を、内蔵を含む全身機人化の技術に見いだそうとしていた。
 そうしたことが重なって、その頃の彼はひどく危うい心理状態だった──すべては後付けで気付いた理由でしかないけれど。
 なのに、彼がそんな状態だったことをわたしは気付きもせず、その彼に『棺(ひつぎ)』を与えてしまった……」
 
 更に次の機人兵へ向かおうとするクロエへ、まっすぐに二刀の男が突っ込んできた。
 少佐の太刀筋よりもなおいっそうの機械的な加速(ブースト)の加わった二刀の剣が、クロエに襲い掛かる。生身の人間なら太刀筋を読むより先に膾(なます)に斬り刻まれていたであろう剣風を、薄皮一枚のぎりぎりの距離でかわす。
 だが、男の猛攻は止まらない。
 左腕の刀身で反撃を試みるが、凌(しの)ぐのが精一杯だ。一刀ならまだしも、もう一刀が常に予想外の角度から襲ってくる。標的に対して直線的に襲いかかる少佐の太刀筋とは違い、刀身を体の背後に隠しながらの太刀捌きは、どこから襲ってくるのかこちらから読めない。そこへさらに二刀が相互に入れ違って幻惑するような動きまで見せ、一瞬たりと気が抜けない。
「くっ……こぉんのぉ……っ!」
 高速で疾駆する二刀によって編み上げられた、緻密な襲撃軌道──その隙間をこじ開けるように、クロエは左腕を突き入れようとする。
 が、その瞬間、振り上げたその腕が、逆に後方へと引っ張られた。
 ワイヤー……!?
 背後から打ち込まれた機人兵のワイヤーが、左腕に絡まっている。クロエの膂力(りょりょく)であれば、振り切るのもたやすい。だが問題は、発生してしまったこの刹那の対応の遅れであり、眼前の二刀の男がそれを見逃すはずもなかった。
「!」
 喉と心臓を正確に照準し、音速を越える突きがクロエめがけて襲いかかった。
 
「〈大聖堂(カテドラル)〉は技術情報だけでなく、いくつかの遺物──彼等が『原器(マスターピース)』と呼ぶものを持っていて、高度な解析能力を持つに至った研究機関に、それを貸し与えることがあったの。
 この『棺(ひつぎ)』もそう。機人化技術の育成自体、この『棺(ひつぎ)』の解析を最終目標とするプロジェクトだったから、彼の下にそれを届けるのは、〈大聖堂(カテドラル)〉にとってもひとつの成果を意味していた。
 そして『棺(ひつぎ)』を得た彼は、それを解析して得た情報を元に、次々とめざましい成果を挙げ始めた──その背後で、自分の妻と息子を含むおびただしい数の人体実験を重ねていたことに、私たちが気づくのは大分後になってからだったのだけど。
〈大聖堂(カテドラル)〉への報告書に生じた矛盾をきっかけに、査察官が送り込まれたものの失踪。事態に気づいた私たちは、『棺(ひつぎ)』奪還のために執行部隊を率いて研究所を強襲した。
 だけど、全身機人化した十体の戦闘用機人──〈機神(マシーナリィ・ゴッド)〉を率いた彼の前に、私たちは逆に返り討ちにあい、壊滅的打撃を受けた。
 彼は〈大聖堂(カテドラル)〉の追撃を振り切り、彼に従う研究者や機人化した妻子、〈機神(マシーナリィ・ゴッド)〉達を連れて西方辺境領の砂漠の彼方に姿を消してしまった」
 
 自分めがけてまっすぐに突っ込んでくる二刀の剣を、クロエはとっさに下から蹴り上げた。
 二刀とも刀身が半ばから折れ、宙を舞う。
 すかさず強引に左腕を突き出すと、クロエは男の貌(かお)をその手にわし掴んだ。
「おおおおおおおおおおおおおっ!」
 獣のような咆哮とともに、背後からワイヤーを絡ませる機人兵ともども船主側のガラス壁めがけて突進する。
 男は己の貌(かお)を掴むクロエの強靭な掌(てのひら)から逃れようともがくも、果たせず、そのまま分厚い強化ガラス壁に後頭部を叩きつけられた。正面から突っ込んでくる渡り鳥の直撃(バード・ストライク)にも耐え得るとされた強化ガラスの一面に、蜘蛛の巣のような亀裂が一気に走る。
 が、男の頭部はその衝撃にも耐えたのか、苦しげに右手を持ち上げると自身の貌(かお)を掴んだままのクロエの手首を握りしめた。
「………………」
 クロエは無言で左手をひねった。鈍い音ともに頚骨をへし折られた男の身体から力が抜ける。手を放すと、ガラス壁に血の痕を残しながらその場に崩れてゆく。
 と、その背後、ひびの入ったガラス壁の向うで、凶暴な動力機銃の銃口がこちらを睨んでいた。
「……装甲ジャイロ!?」
 とっさにその場を離れようとし、身動きが取れないことに気付く──生き残った機人兵が、両手両足にしがみついていた。
「あんた達……!」
 装甲ジャイロが、視界を灼く強烈なサーチライトの光を浴びせる。
 次いで、多銃身の動力機銃が羽虫のような唸り声とともに火を吹いた。
 
「研究所襲撃で重傷を負ったあたしは、〈大聖堂(カテドラル)〉が保有するもうひとつの『棺(ひつぎ)』の被険体として選ばれ、今のこのあたしになった。
 それから五年経って、〈大聖堂(カテドラル)〉の情報網が、遂にあの男が潜む根拠地の所在を掴んだ。
 当然、あたしはあの男を殺すため、西方辺境領を目指そうとした。けれど、ふたつ目の『棺(ひつぎ)』を失うことを恐れた上層部は、あたしの身柄を拘束しようとしたの。
 だから、あたしは〈大聖堂(カテドラル)〉を抜けた。この〈アリーズ(ふね)〉を襲った連中は、あたしを抹殺し、『棺(ひつぎ)』を取り戻そうとする〈大聖堂(カテドラル)〉の執行部隊ってわけ」
「で、同じくそいつらの情報を得た博士は、同行を申し出て、お前はうかうかとそいつに乗っちまった、と」
「博士は博士で、自分の研究や野心が若い私たちの人生をねじ枉(ま)げてしまったのだとひどく自分を責めてらしたわ。だからあたしに同行して、最後まで見届けたいと言って……あたしはそれを拒否できなかった」
「それに普段の子供の姿では、旅を続けるのもいろいろ面倒だからな」
「……まぁ、そんなところよ」
 頷くと、クロエは静かな、だが決意に満ちた厳しさで告げた。
「あたしは、ケリをつけるって決めたの。そのためにあの男を殺す。あの男の作り上げた組織も、機人たちも何もかもぶっ壊して更地にする──そこからしか、何も始められないって、そう思うのよ」
「錯覚だよ、そんなものは」少佐は冷ややかに指摘した。
「くだらねえ。まったくもって、くだらねえ。
 お前の言ってることは、ただの八当たりじゃねぇか。
 いいか? 死んだ奴は甦らない。去っていった奴も帰ってこない。壊れたものは元へは戻らない。喪(うしな)ったものは取り戻せない。ねじ枉(ま)がったものは、どんなに逆方向にねじ枉(ま)げようが、やっぱりねじ枉(ま)がったままだ。
 結局、そこから始めるしかないんだ。終わっちまったこの場所から、終わっちまった自分を受け入れて生きてくしかないんだ。
 それが判らないほど、ガキじゃねぇだろ」
「そうかもしれない」クロエは苦笑して頷いた。
「でもね、あたしの中ではまだ何も終わってやしないのよ。今でも血が流れてるの。今でも熱を帯びていて、今でも痛むの。こんな機械の身体に乗り換えても、何人この手で殺しても、痛みは少しも収まらない。
 五年前のあの時、あの瞬間に、いつだって引き戻される。
 だから、この手で終わらせるの──何もかも。何もかも。
 あたしが何かを始められるのは、きっとその後からしかないのよ」
「………………」
 しばらく無言でクロエを眺めていた少佐は、やがて口許だけを歪ませた。
「……そうか。お前はまだそこにいるのか。
 いいさ。行けよ。お前の進みたい方向に進んで、殺したい奴を殺せばいい。そんなもので、その痛みとやらが収まると思うなら、どこへなりといって誰なりと殺せばいい。そんなもので、何かが始まると思えるなら、気が済むまでぶっ壊せばいい。
 結局、手前の足でたどり着くしかねぇんだよな、ここへはよ」
「…………行くわ…………」
「ああ。じゃあな」
 
 分厚いガラス壁が無造作に砕かれ、大口径の機銃弾が展望ホール一面にぶち撒けられる。
 しがみつく機人兵どもともども直撃を喰らったクロエは、後方の壁面までふっ飛ばされた。
 ガラス壁だけでなく、着弾した床や調度品なども、機銃弾の巨大な運動エネルギーを受け留めきれず、微細な破片を辺りに撒き散らして弾け飛ぶ。乗客たちの空の旅の無聊を慰めるべく、〈帝国〉各地の職人たちによって丁寧に設(しつら)えた高級な調度品やバーのカウンターなども、等しく無惨な残骸へと帰されてゆく。
 やがて銃撃で脆くなったガラス壁が、内外の気圧差に耐え切れず、外へと砕け散った。与圧されたホール内の空気とともに、破砕された破片類や機人兵の屍体の断片などが、まとめて船外に吸い出される。
 それを避け、一旦わずかに後方に下がった装甲ジャイロは、機位を変えると、更に銃撃を加えて執拗に展望ホールの掃討を重ねる。サーチライトの強力なビームでホール内を舐めつつ、形在るものすべてに破壊をもたらしてゆく。
 と、湯水のように金色の薬莢をばら撒いていた機首の動力機銃が、不意に停止した。
「?」
 動力機銃のマシントラブルかと、パイロットが機内から強制排莢を試みる──反応がない。もう一度、レバーを引く。反応なし。そこで機首の動力機銃だけでなく、機体全体の反応がなくなっていることに気付く。
『──捕まえたわ』
 予圧服内のスピーカーから、クロエの囁きが流れ出す。
 驚愕するパイロットが貌(かお)を上げると、そこに長い黒髪を吹きすさぶ氷点下の大気流になびかせたクロエの姿があった。
『バカね。今のこのあたしの前でデータリンクなんて使うから』
 猫のように細めたその瞳が朱く輝き、嗤うその貌(かお)は紛れもなく獲物を捕らえた肉食獣そのものだった。
 
                               >>>>to be Continued Next Issue!