積読日記

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義忠『棺のクロエ1.5 花嫁強奪』第1回

 
 かれこれもう百年以上も歴代の王家の花嫁を見守り続けてきたという、壮麗な造りの鏡台に、憂いを帯びた女の貌(かお)が映っていた。
〈帝都〉の最新モードを基調に民族調に編み上げられたレースを組み合わせた、真っ白なウェディングドレス。きらびやかな宝石をちりばめた由緒正しきティアラ。普段は短めの亜麻色の髪は、付け毛(ウィッグ)で肩から下まで伸ばされ、絶妙な膨らみを帯びて腰まで流れる。そして、〈王都〉でもいちにを競うアーティストのメイク──いずれも、王家の娘の婚礼にはまずもって充分な気品と豪華さ。
 女として生まれて、一世一代の晴れの日を迎えたこの日に、鏡の中の彼女に何を憂うことがあるのか──フェリアはどこかまるで他人事のように、鏡に向かってそんなことを考えていた。
「花嫁の憂鬱(マリッジ・ブルー)」?
 ああ、そうかもしれない。この土壇場になって、底知れぬバカバカしさに捉われているこの感情をそう呼ぶのなら。もっとも、世のすべての花嫁がこんな虚無感を抱いて嫁ぐのだとも思わないけれど。
 一〇代でスキーと乗馬の国際大会の選手に選ばれ、その後も〈帝国〉への留学中には〈帝国〉皇族と浮名を流し、帰国後もスポーツや芸術の積極的な後援者として振る舞って、自身も登山やドライブなどを好む「開かれた王室」の象徴たる行動派王女──そうした国民に流布する華やかな自分のパブリック・イメージの裏側で、大樹を内側から侵食するウロのように、ぽっかりと開いた空洞が広がってすべてを呑み込もうとしている。
 花婿が気に入らない、というのではない。むしろそこはどうでもいい。王室官房の役人達が、数年掛かりで見つけ出してきた相手に文句があるわけではないのだ。「王室を軸とする国家和合」なる崇高な企画コンセプトに則って、膨大な量の報告書と企画書と比較分析表の洪水に、無限に続くかに思えた審議会と非公式の根回しの果てに浮かび上ってきた花婿候補に、たとえ当事者といえど異を唱えられるわけもない。
 無論、「王女様のワガママ」で面子を潰される政財官学の錚々(そうそう)たる顔触れなぞどうでもいいが、しかしそうまでして通したい我があるわけでもない。
 そうやってただ流されるままに状況に流されて、いよいよ式を迎えるこの段になって、己の中身がかくもからっぽの伽藍堂(がらんどう)だったのだといよいよ気付かされた自分が今ここにいる。
 いや、ずいぶんと酷い話だと、我ながら思う。こんな抜け殻のような女を娶(めと)る花婿に、我がことながら同情を禁じ得ない──まぁ、そんなことを考えている時点で、既に他人事に近いのだが。
 得体の知れない不快感が沸き起こってくる──それが誰の、何に対する不快感なのか自分でもよく判らない。
「……『高貴なる者の義務(ノーブレス・オブリージュ)』、だったかしら……」
 今はここにはいない男の言葉を呟き、ようやく口許を小さく綻ばせることができた。まったく、便利な言葉だわ。いろいろなものに蓋をすることができる。──あの時、彼が口にした時には、もう少しましなニュアンスで使われていた言葉だったような気もするけれど。でも、それとても、もうよく思い出せない。どうしても焦点(ピント)の合わない映写幕(スクリーン)を眺めるように、何もかもが遠く、遠く、霞(かすみ)の彼方に在り続けている。
 そこへ目を凝らすでもなく、手を伸ばすでもなく、立ち去ることもできず、嫁ぐ自分にも現実感を欠いたまま、フェリアは鏡の向こうの自分をただぼんやりと眺め続けていた。
 そこへ不意にノックの音が聴こえ、我に還った。
 式典の関係者かしら。時間はまだあるはずだけど。
 もういちどノック音──やむなく、鏡台の前から立ち上がり、ドアへと向かう。メイクが終わってから、しばらく独りになりたい、と半ば強引に人払いをしてしまったために、この控え室にはフェリアひとりしかいない。
 分厚いドアを開けると、細身の眼鏡を掛けた礼服姿の儀仗兵が立っていた。
 長身の儀仗兵は白手袋を嵌めた右手で帽子のつばをわずかにずらし、眼鏡のグラス越しに細めた黒い瞳でこちらを見下ろしている。端正ではあるものの、どこか岩塊から荒っぽく削り出されたような凄みの貌(かお)立ち。王室への敬意のあらわれというにはあまりにも不遜窮まる形に口許がわずかに歪む。その微笑と、眼鏡の下から槍の穂先のような鋭さで投げ掛けられる眼光とのギャップに奇妙な威圧感を感じて、フェリアは小さく息を呑みこんだ。
 儀仗兵は短く訊ねた。
「フェリア王女殿下?」
「……何事ですか……?」
 王国の人間なら見間違えるはずもない自分の顔を見て、何故、あえて名を訊く? ──疑念を口にするより先に、儀仗兵はふてぶてしく破顔する。
「結構──急いでください。ここを出ます」
「……? あなた、何を言って──」
 訊き返しながら、ふと儀仗兵の足許へ視線を落とす。そこにできた血溜まりの中に、濡れた男の腕が転がっていることに気付いて、小さく悲鳴を上げる。
「!?」
 とっさにドアを閉めようとしたそこへ、男は軍刀(サーベル)の柄を突き出してきた。ドアの隙間にねじ込んだその柄を使ってそのまま強引にドアをこじ開けると、室内に押し入ってくる。
「失礼。時間がありません。命が惜しければ、言うとおりにしてください」
 凄みのある笑みで告げる男の言葉に、フェリアは頷くしかなかった。
 
〈帝国〉北方外縁に連なる諸国の中でも、比較的長い歴史と大きな国力を有する〈王国〉。その〈王都〉にあって、鎮護国家の要(かなめ)として、王宮と向かい合うように聳(そび)える尖塔で人々に親しまれている大聖堂の一室──今日のこの婚礼式典では花嫁の控えの間とされたその部屋はもぬけの殻と化し、対照的にその前の廊下と壁面には大量の血がぶち撒けられて、床の上には幾つかの屍体が転がっている。
 王室親衛隊長であるクタル・コープ少将は、冷やかにその惨状を眺めた。
 射殺された警備兵の屍体が二、消音器付きの短機関銃(SMG)を手にした儀仗兵の屍体が二──こちらはいずれも一太刀で斬殺されている。
 将軍は足許の屍体から短機関銃(SMG)を拾い上げ、装捍(コッキングハンドル)を半ばまで引いて薬室(チェンバー)に銃弾が装填されていることを確認した。
「将軍!」
 派手なフラッシュを焚いて現場撮影を行っている部下に場所を譲った少将の禿頭の後頭部へ、背後から張りのあるバリトンの大声で呼び掛けられた。
 振り返れば、秘書を引き連れた白いタキシード姿の大柄な壮年の男がつかつかと駆け寄ってくる。
「私の花嫁はどこだ!?」
「奪われました」
「何だと!?」
 醒めきった表情で返す少将の言葉に、花婿であるはずのエラン・マキナスは驚愕で貌(かお)を歪めた。若手ながらも市民議会の実力派議員として知られ、将来の宰相候補とも目されてもいるエラン・マキナスは、獅子にも喩(たと)えられるその貌(かお)を少将に寄せて小さく囁いた。
「まだ生きてるのか!?」
「〈帝国〉の工作員に薄皮一枚で先手を取られました」
「〈帝国〉に知られてるだと?」
想定の範囲内です。若干のシナリオ変更で充分に対処可能でしょう」
 淡々と応える少将に、エラン・マキナスは念を押すように訊いた。
「大丈夫なんだな?」
「無論です」
「……後は、私が花嫁を奪われた間抜けな花婿の屈辱に耐えればいい、ということか」
「その問題も、この場で片づけましょう」
「何?」
 振り返る胸元に少将は短機関銃(SMG)の銃弾を叩き込んだ。
 エラン・マキナスの大柄な体躯が、悲鳴も上げずにその場で床にひっくり返る。表情ひとつ変えず、少将はその頭部へ続けてとどめの銃撃を加えた。
 それを見ても、周囲の兵士たちに動揺はない。すべて既定の出来事のように、誰も姿勢を崩さない。
 唯一の例外として、ひぃっ、と悲鳴を上げた秘書が、踵を返して走り出す。
 と、その横を軍用コートを羽織った長い銀髪の士官がすれ違う。
 その刹那、コートの裾がわずかに翻り、腰の軍刀(サーベル)から糸のような銀光が空間を縫い走る。次の瞬間、秘書は袈裟掛けに斬り捨てられ、周囲の壁面に大量の血を撒き散らしながら床へと転がり崩れた。
 それを振り向きもせずに無視し、男は少将の前で立ち留って敬礼する。
「遅いぞ。シラン大尉」
「申し訳ありません、将軍」
 低い掠れ声で応える土気色の肌の大尉に、少将は床の屍体へ顎をしゃくる。大尉は無言で腰を落とすと、斬殺された儀仗兵の鋭利な傷口へ指を添えた。
「例の片腕機人の〈帝国〉軍人だな?」
「間違いありません」
 頷く大尉へ、少将は吐き捨てるように訊ねた。
「貴官から『死んだ』と報告を受けたのは、つい昨夜の話だぞ」
「遺体は見つかってません。どうやら生きていたようですね」
 悪びれもせずに大尉が視線を返す。幽鬼のような落ち窪んだその両目に、少将は小さく眉を顰めただけでそれ以上咎めず、告げた。
「奴は王女を連れて逃げた。おそらく国境を越え、〈帝国〉軍部隊と合流するつもりだろう──貴官ならどう動く?」
「クトラ口からキエ山脈を越えます」
「女連れの足で冬の雪山越え、か?」
「姫様単独では無理です。しかし、経験者がそばについて、無理をさせれば可能でしょう」
「………………」
 少将はぎょろりとした大きな眼で大尉を見据えた。
「王女の身柄を〈帝国〉に押さえられて、連中にいいように使われるわけにはいかん。少なくとも、生きていると知れただけでも、様子見を気取る軍部の動揺を招きかねん」
「承知しています」
「よし。国境警備隊にいる同志に手配して、手だれの部隊を廻してやる。追って、必ず仕留めてこい──ふたりとも、な」
「御意」
 頷く大尉の双眸の奥で、冷たい光が炎のように揺らめいた。
 
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