積読日記

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義忠『棺のクロエ1.5 0〔lav〕』第9回

0-9

 
 あの日、あの瞬間のカオが浮かべた一瞬の表情に意識を引き戻され、フェリアは表情を強ばらせた。
 すべてが幻(まぼろし)と知っているかのような、ひどく老い、枯れ果てた表情。
 だが、あの場で何故そんなものが、彼の表情によぎったのか?
 カオと過ごしたこの数ヶ月の時間、交わした会話のひとつひとつを取り出して、その時の彼の表情を思い返してみても、それだけが判らない。
 それがあの年上の青年の本質に迫る何かだと直感が告げている。
 それをこのまま見過ごすことは、取り返しのつかない過ちを招くことだと告げている。
 それなのに、何も判らない。何も届かない。
 その絶望が、浮かれ上がっていた自分に冷水を浴びせかけ、すべてを不安の渦へと引きずり込む。
「姫様……?」
「ダメよ……」いつしか泣きそうな表情でフェリアは呟いた。
「彼はたぶん、ウソをウソのままだと思ってる。いずれすべてウソに戻って、何もかも失われてしまうものだと思ってる」
「ならば、姫様がそうでないと伝えて差し上げればよろしのでは?」
 テレサの問いに、フェリアは首を横に振った。
「そうではないわ。そうではないの。
 あの人がウソだと思ってるのは、きっと『婚約』のことだけではないわ。
 もっと、ずっと心の奥底にあるもの。その何かが、すべてをいずれ失われるものと決めつけている。
 でも、私では、そこに触れることができない。彼は何も話してくれないし、心を開いてくれない。
 だから、たとえ『婚約』が本当になっても、私はこのまま本当の彼にずっと触れられないまま──」
 ぽろぽろと涙をこぼしながら話すフェリアを、いつの間にかすぐそばまで近寄ってきていたテレサがそっと抱きしめた。
「それで、ずっと悩んでらしたのですね」テレサはフェリアの背を撫でながら言った。
「世の中の男女のほとんどは、そんなこと気にせずにおつきあいしてますのに。
 姫様は姫様ご自分の幸せだけを考えて、ただ殿方に求めるだけでも姫様の幸せは得られるでしょうに」
「それじゃダメなの!」まるで少女の頃に戻ったかのように、フェリアは叫んだ。
「彼も一緒に幸せにならなくちゃダメなの!」
 言い切ってから、はっとフェリアは気付いた。
 そうなのか。自分が本当に望んでいたのは、そのことだったのか。
 だが、テレサは悲しげに告げた。
「それは、ただのエゴでしかないのかもしれませんよ。姫様が望んだ『幸せの形』へ、カオ殿下を無理やり押し込もうとしているだけかもしれません。それで得られる『幸せ』は、けして長続きはしません。判っておいでですか」
「……判るわ、テレサ
 フェリアは頷き、テレサに抱かれたまま涙を拭った。
 もう迷いはない。自分が何を望んでいるのかを、自分はようやく知ることができた。
 たとえそれが、ただの己ひとりの傲慢(エゴ)であっても構わない。その己の傲慢さを突き破って、きっとその向こうにあるはずのカオと自分の「本当の幸せ」に辿りついてみせる。
 ならば、後はそのために何を為すべきかを考えるだけだ。
 フェリアは顔を上げて訊いた。
「私はどうすればいい?」
 テレサは微笑み、いっそう強くフェリアを抱きしめた。
「次にカオ殿下にお会いしたら、こうやって強く抱きしめて上げてください。
 きっと、あなた方はそこからですよ」
「……うん……」
 フェリアもテレサの身体に子供のようにしがみついた。
 暖かい。
 そうね、きっとこのぬくもりがあれば大丈夫──何の根拠もないまま、けれど揺るぎない確信が胸の奥から湧いてくる。
 そこで、ふと気付き、フェリアはテレサに訊ねた。
「ねえ、さっきの話って、テレサの実体験……?」
「さぁ、どうでしょう」
 微笑んでとぼけるテレサの表情を見る限り、フェリアにはどちらとも判断がつきかねた。
 
 部屋の奥の方から電話のベルが鳴り響いたのは、その時だった。
「カオ殿下でしょうか?」
「まさか」
 カオはフィールドワークの調査費で万年金欠状態なのだ。べらぼうな金額の長距離電話料金を払ってまで現地から電話をしてくることは、まずない。だいたい目的地に着いたら、現地から「着きました」の一言だけ書き込んだ絵ハガキを送ってきて、それで事足りると思っているような男なのだ。
「ならば、大学の事務局からかもしれませんね。私(わたくし)が出ましょう」
 テレサが席を立って、テラスから屋内に戻る。
 だが、ほどなくひどく切迫した声で、テレサがフェリアの名を呼んだ。
「姫様!」
「どうかしたの、テレサ?」
 見れば、蒼褪めた表情でテレサが受話器を握りしめている。
「カオ殿下が……旅先で事故に遭われたと──」
「………………!」
 世界が足許から崩れ落ちるように、重力の感覚がふいに喪失するのをフェリアは感じた。
 
 自分の喉が言葉を取り戻すのに、どれだけの時間を要したのか自分でもよく判らなかった。
 それでも無理矢理引きずり出した問いを、叩きつけるようにテレサにぶつける。
「彼は──カオ殿下は無事なの?」
「判りません。電話では、ただ事故に遭われたとしか……」
「それじゃあ、判んないわ! せめて何処で、どんな容体かくらい──」
「いえ、それが……軍の方が、姫様と私を現地に連れて行ってくれる、と」
「軍……?」
 何で、ここで「軍」などという単語が出てくるのか……?
 ひどく不吉な予感を覚え、フェリアは眉を顰めた。
「失礼します」
 困惑するフェリアの背後から、若い男の声がした。
 振り返ると、褐色の〈帝国〉陸軍士官服に身を包んだ若い軍人が、踵を合わせ、敬礼の姿勢で立っている。
「〈王国〉のフェリア王女様でいらっしゃいますか?」青年士官は生真面目な表情で告げた。
「軍大本営よりの命令により、お迎えにあがりました」
「………………」
 状況も何も理解できないまま、フェリアはただ頷くことしかできなかった。
 
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