積読日記

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福田首相「公約違反と決めつけられちゃった」

朝日新聞
http://www.asahi.com/politics/update/1214/TKY200712140335.html
 
 実はいまだに高村薫作家的時評集2000-2007 (朝日文庫 た 51-1)』をちまちまと読み進めているわけなのだけど、この本のおよそ半分以上は、小泉内閣で驚くほどの勢いで急速に重みを失ってゆく日本語に対する悲痛なまでの怒りと哀しみに費やされている。
 作家としてとりわけ日本語を大切にする著者が、小泉元総理のいい加減極まりない言動の数々にどれほど胸を痛めたかは想像に難くないが、政治における言葉の軽さはその後も加速し続け、とうとう直前の選挙から半年も経たずに一国宰相が自党の公約をすっとぼけるに至った。
 挙句の果てに、リンクの記事では「公約違反と決めつけられた」と居直りもここまで抜けぬけとやれるものか、とまったく開いた口が塞がらない。
 勿論、今回の年金照合問題では、公約された時点で国民のほとんどが「春までに5,000万件の照合なんて、どうせ無理だろう」と思っていろうから、この結論自体、おそらく誰も気にしていないのだけど、いや、それにしたってこんな言い草はないだろう。
 これでは政治家自ら、普段から己の発言は居酒屋トーク・レベルで扱ってくれと言っているに等しい。確かに、酒の入った居酒屋での発言を捉えて鬼の首を獲ったかのように騒がれるのは誰でも本意ではなかろう。
 だが、しかし事は一国の宰相が進退を賭けた選挙での公約である。当の本人が職務放棄で放り投げたのを引き継いでの政権とはいえ、できないならできないなりの総括を経るべきだ。それを無視するばかりか、「そんな公約言ったかな」ととぼけるのはあまりに筋がおかしすぎる。
 この人たちは、為政者の発する言葉を何だと思っているのだろう。
 
 ……と、まぁ、悲憤慷慨するだけならどこでもやってる話なので、ここは真面目に「彼等が何を考えているのか」を考察してみよう。
 
 で、非常にシンプルに推察するなら、この人たちは自身に付与された権力が、公約だのマニフェストだのといった「言葉」に宿るのではなく、自身のパーソナリティそのものに属人的に宿るものだとでも考えているのではないかと思われる。
 要するに選挙の結果、国民と結ばれた契約関係は「オレに任せとけば悪いようにしない」くらいの緩やかなものであり、言葉のひとつふたつ翻したくらいで揺るぐものではない、といった辺りだと想像せざる得ない。
 これは一概に間違っているとは言えない。一昔前まで自民党に投票していた有権者、とりわけ地方の票は、「オラが先生」に投票されたのであって、必ずしも「政党」などという観念的な存在に投ぜられたものではなかった。今でも選挙区によってはそうした色彩が強い土地もあるだろう。
 先日の民主党について考察した際に使った「信用」という言葉をここでも使うなら、有権者と代議士は表層的な「言葉」などに左右されない、強靭な「信用」関係を築き上げているという自信の顕れだろう。
 少なくとも、小泉元総理の言動とその強固な権力構造の関係を間近に接してきた政治家達が、世の中、それで通ると思ってしまっても不思議ではない。
 いや、しかし、そんなに簡単に「言葉」を軽んじていいほど、彼らは「信用」に値する実績を積んでいるのか?
 
 小泉元総理の場合、言動の内実こそいい加減ではあったが、要所要所で国民が総理に口にして欲しいと思う言葉を歯切れよく打ち出し、また国民を惹きつけるパフォーマンスにおさおさ怠りなかった。その瞬間、その瞬間の場の空気をすばやく纏め上げ、周囲の言論空間を瞬く間に支配下に置いてしまった。あまりに無茶な論理的破綻を極めた自身の言動さえ、相手を困惑と思考停止に追い込むテクニックのひとつとして駆使してのけた。
 その魔術的手腕の精妙さについては、ここでも度々取り上げているので繰り返しはしないが、しかしまったくテクニックだけで状況を転がしていたわけではなく、少なくとも「破壊者」としての実績を博打のテラ銭とするだけの「信用」を国民から得ていた。
 あの前代未聞の政権放棄の安部内閣の後で総選挙も経ずに成立した福田内閣は、どんな「信用」を国民から得ていると言うのか。
 小泉元総理ほどの魔術的手腕も「破壊者」としての信用すら欠いた人々によって弄されるこの「言葉遊び」は、彼らの拠って立つ権力基盤を破壊する効果しか発揮していない。
 衆参逆転国会の状況下で完全な手詰まりを見せている政局を前にして、いささか自棄になる気持ちも判らないではないが、そう軽々に国政を放り出されても困るのだ。困難な状況下でこそ、一縷の光明を目指して執念深く突破を図るくらいの気概を一国の内閣に求めるのは果たして酷だろうか。
 役人の言うままに、バカ正直に独立行政法人の整理統合にゼロ回答を出してきたことと言い、あるいは今や彼らこそ本気で自民党をぶっ壊したいのかと疑いたくもなる。
 
 とりあえず、福田内閣は他人事のように眺めている姿勢を直ちに改め、謝るべきは謝り、現実的な対応に取り組む姿勢を見せるべきだ。
 その姿勢が誠実なものであれば、国民の多くはこの程度の過ちを赦す程度の度量はある。
 それとも、そこまで国民を信用できないというなら、福田内閣は一刻も早く退陣し、総選挙を行うべきだと思うのだが。