積読日記

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『図書館戦争』全12話

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図書館戦争 第1巻―LOVE & WAR (花とゆめCOMICS)

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 前クールのアニメを整理していて、一応、最後まで観終えましたので。途中、一話観逃してるけど、まぁ、いいや。
 ちなみに原作は未読。
 
「戦争とは外交の延長である」と言い放ったのはかのクラウゼヴィッツ翁だが、さらに言えば「コミュニケーション」という意味では「戦争」も「外交」も「恋愛」もさして変わるものではない。
 なので、「戦争」と「恋愛」は古来、相性の良いテーマの組み合わせであり、本作のような「戦争を背景としたラブコメ」自体を自分は否定するものではない。
 ないのだが、本作で描かれている状況が本当に「戦争」か、というと、う〜ん、と唸らざる得ない。
 いいとこ「戦争っぽい」という程度なのよね。
 
 一応、「社会不安を煽る悪書は追放すべきだ」とする「メディア良化隊」なる民兵(?)組織と、それに対抗し「表現の自由」を信奉する武装図書館員達による「図書館隊」との抗争が物語の背景にあって、国家によって定められた厳格なルールに基づいて、戦場も、戦闘時間も、あるいは装備も限定された状況でこの「戦争」は戦われる。トラックはありでも、戦車や装甲車両系はダメ。ヘリボーンはやっても、航空ユニットによる対地攻撃はなし。狙撃はOKでも、RPGやグレネードは禁止。どうも砲爆撃系の間接攻撃ユニットとか対人地雷とかは、まとめて禁止っぽい。
 実弾は使用しているものの、「防弾衣を着ているんだから、撃たれてもそうそう死にはしない」という台詞がヒロインの発砲ごとに免罪符のように繰り返される。事実、主要登場人物は誰も撃たれても死なない。
 ……いや、サバゲーだよね、それ。
 
 まぁ、それはそれで表現として割り切ってもいいのだが、上記のような思想的対立軸を巡る「戦争」であるにも関わらず、その最前線に立つヒロインがどうもその辺をきちんと理解できていない。
 作中、自分の好きな本をくさす書評を掲載したサイトを運営する同僚に、「あんなサイトやめなさいよ」「あんたの書評で傷つく人がいるんだからね」「今度会ったとき、まだやってたらぶっとばす」とヒロインは罵る。
 ……え〜っと、それって「メディア良化隊」のやってることとどう違うの?
 
 いや、ま、ヒロインといえど作中では視点のひとつでしかないのだから、「自分の立ち位置がわかっていないキャラ」として確立させるのもアリだと思う。むしろそこを深堀して、敵である「メディア良化隊」側の心理や価値観を理解させ、両者の対話と戦争終結への可能性まで辿り着かせてもいい。
 おお、まさしく母性原理による戦争の包摂。見事な文学的着地点だ。
 ……なのだが、そこは見事にスルーされ、話の焦点は別の登場人物の兄弟の相克へと移行する。
 いやいやいやいや。そこ重要なとこだろう。ある意味、戦争の原因そのものじゃねぇか。せめて誰か突っ込んでくれ。
 
 で、結局、アニメでは誰も突っ込んでくれなかったので、代わりにここで突っ込みを入れると、ヒロイン達と敵対する「メディア良化隊」の行動の根幹はまさしく「その本(表現)で傷つく人がいる」というその一点に依拠しているものと推察できる。勿論、アニメの画面だけ観ていると、リベラルな本や思想が流布すると保守派が困る的なニュアンスで描かれているが、それは事の一側面でしかない。
 何故なら、そもそも表現とはすべからく著者による現実の読み代えであり、その押しつけでしかないからだ。一方的に読み代えられた側は、それを目にした瞬間から、自身のこれまでの解釈(コンテキスト)との折り合いを強いられる。それが自身のアイデンティティを侵犯するほど強烈なものであれば、生理的な拒絶反応を示すであろうし、度重なれば忌避、ないしは排除の行動へと繋がるだろう。
 一方、「図書館隊」の思想はその逆だ。表現の暴力性を肯定してでも、文化的遺伝子である「本」を護る。何故なら、それらは社会や文化、そして個人の変化に備える「可能性のアーカイブ」だからだ。
 恒常性(ホメオスタシス)と変革性(トランジスタシス)*1。どちらにも一定の正当性があり、社会にとって必要な要素であるからこそ、その対立は苛烈なものならざる得ない。
 それが『図書館戦争』の本質なのだ──ってわけでも、どうもなさそうなんだよなぁ、これが。
 
 原作はどうか知らないのだが、アニメで「メディア良化隊」の隊員が独自の価値観を持ったひとりの人間として立ち上がる場面はほとんどない。それでも作中最大の決戦前夜に、「メディア良化隊」指揮官と「図書館隊」側のレギュラーキャラが語り合うというシーンがあるのだが、この指揮官が「みんな本気で戦ってるわけではない」などとへたれたことをのたまう。要するに「敵も同じ人間なのだ」ということを伝えたいシーンだったのだろうとは推察できるのだが、これでは「メディア良化隊」の闘争を支える組織としての動機づけ(モチベーション)も理念も見えてこない。
 それはとりもなおさず「図書館隊」のラジカルな闘争への説得力さえ削ぎかねず、これも非常に問題のあるシーンであったように思われる。
 
 意図してか意図せざる結果か、そんな風に社会科学的な側面が見事にスルーされているので、知的な刺激はさっぱり感じられない。
 あとはラブコメに乗れるかどうかで……いや、良くも悪くもテンプレ王道過ぎて、自分にはちょっと。こういうベタなのが良いって人もいるんだろう、とは思うんだけれども。
 まぁ、本が売れること自体は出版業界的に悪い話ではないので、ベストセラーになって良かったんじゃないですか。
 他に読む本が山のようにある中、自分としてはあえて原作を読みたくなるアニメではありませんでしたというだけで。

*1:TV版『エヴァ』の造語で、実際の生理学用語ではないとか。まぁ、言いたいことさえ伝われば、ここでは別にいいんですけど。