『21世紀の資本』@新宿ピカデリー(20/06/06(sat)鑑賞)
本日の映画1本目『21世紀の資本』@新宿ピカデリーに劇場入りしました。フランスの経済学者トマ・ピケティの同名経済学書を元に、著者自身の監修・解説を加えたドキュメンタリー。……いや、本の方は分厚くて簡単に手が出せそうにないので、映画でお勉強しようと(^^;; #fr20_n
— 義忠@C98月曜 南ウ40「物語工房」 (@yoshitada_n) 2020年6月6日
『21世紀の資本』観終わりました。18世紀の貴族が資本のほとんどを支配していた時代から、20世紀中葉の中産階層勃興の時代、そして21世紀の多国籍企業による資本独占の時代へと回帰してゆく資本主義社会。とりあえずコロナ禍直前までのまでの資本主義社会の総括。さて、ここから、どうなるか。#fr20_n
— 義忠@C98月曜 南ウ40「物語工房」 (@yoshitada_n) 2020年6月6日
『21世期の資本』:今回、この映画で語られていることは、周知の歴史と、昨今の経済・思想界隈で一般的に語られていることの総括であって、特に新しい話題が取り上げられているわけではありません。しかし、それでも資本主義の栄枯盛衰を18世紀から語り起こすと、独自の文脈が見えてくる。#fr20_n
— 義忠@C98月曜 南ウ40「物語工房」 (@yoshitada_n) 2020年6月7日
『21世期の資本』:資本の独占と恐慌と動乱の時代を経て、再配分や階層流動化が生じ、しかし安定の時代の間に再び資本は独占され、格差は拡大し、階層は固定化され、社会は動揺して動乱の時代に回帰する。人類はそれを飽きもせず繰り返しつつ、都度違うレイヤーに移行しているようでもある。#fr20_n
— 義忠@C98月曜 南ウ40「物語工房」 (@yoshitada_n) 2020年6月7日
『21世期の資本』:コロナ禍直前までに資本主義の課題として語られていたのは、グローバル資本の動向を既存の国際システム(国家システム)が捕捉できず、市場経済から利益を得ながら、地域経済に還元せず、タックスヘイブンな仮想資本空間で蓄積・運用される資本が肥大化してゆくことの問題。#fr20_n
— 義忠@C98月曜 南ウ40「物語工房」 (@yoshitada_n) 2020年6月7日
『21世期の資本』:当然、収益活動を通じて地域社会の公共財にフリーライドしつつ、雇用も納税も回避する企業が増えれば、諸国の地域経済は疲弊する。それがコロナ禍で実体経済のグローバル化にブレーキがかかり、人は簡単に国境を越えられなくなり、多国間サプライチェーンは危機に晒された。#fr20_n
— 義忠@C98月曜 南ウ40「物語工房」 (@yoshitada_n) 2020年6月7日
『21世期の資本』:危機に備え、人材や資材、資金もバッファを国内に持つ必要が高まった。それは結果として経済効率化を最優先に、最終的に労働者や地域社会につけを回して疲弊させる社会への反省へと繋がるだろう。これから少しはマシな社会になってゆく……かなあ。そんなに甘い話だろうか。#fr20_n
— 義忠@C98月曜 南ウ40「物語工房」 (@yoshitada_n) 2020年6月7日
『21世期の資本』:今回のコロナ禍をどう総括するかにもよるのだけれど、「人間」そのものがリスク要因と解釈するなら、資本主義のAI化・ロボット化を推し進めて「人間」を排除した方がいいという話にもなりかねない。19世紀に交通機関の主力だった馬のように、「人間」も不要とされるのか。#fr20_n
— 義忠@C98月曜 南ウ40「物語工房」 (@yoshitada_n) 2020年6月7日
『21世期の資本』:いやいや、AIが自律的に「欲望」を抱くことはないのだから、究極的な「需要」は「人間」にしか産み出せない。だから、資本主義に「人間」は必要なのだ……と言いたいのだが、それも一握りの「人間」の「欲望」をAIでブーストすれば事足りる、という落ちになるかもしれない。#fr20_n
— 義忠@C98月曜 南ウ40「物語工房」 (@yoshitada_n) 2020年6月7日
『21世期の資本』:もうひとつ、米国も日本も、株式市場で最大のプレイヤーは、今や多国籍企業なんかより政府や政府系金融機関だ。これは結局、国家が国内産業を丸抱えして、共産主義の理想を実現しつつあるということなのか。そんなわけはないが、しかし株式市場の企業評価機能はどうなる。#fr20_n
— 義忠@C98月曜 南ウ40「物語工房」 (@yoshitada_n) 2020年6月7日
『21世期の資本』:と言って、株式市場が大崩落して、世界恐慌を引き起こすわけにはいかない。そのためになりふり構わずに税金を投入して株式市場を支えることも必要だろう。だが、現実に実体経済の景気が悪化している状況と、株式市場がこうも乖離していていいのか。#fr20_n
— 義忠@C98月曜 南ウ40「物語工房」 (@yoshitada_n) 2020年6月7日
『21世期の資本』:21世紀の私たちは、本当に経済をコントロールできているのか。表面的な動揺をテクニカルに防ぐことに成功している代わりに、何かを見落としていないか。株式市場の不思議な安定をよしとするとして、では実体経済を襲っている動揺のエネルギーはどこへ廻るのか。#fr20_n
— 義忠@C98月曜 南ウ40「物語工房」 (@yoshitada_n) 2020年6月7日
『21世期の資本』:世界経済は格差が極大化した18世紀の昔に回帰しているようで、同時に人類の誰も体験したことのない未知の領域に踏み込もうとしている。それもいずれ歴史となって経済史の教科書に載ることになるだろうが、その前に今を生きる私たちはその人生で対峙しなければならない。#fr20_n
— 義忠@C98月曜 南ウ40「物語工房」 (@yoshitada_n) 2020年6月7日
『21世期の資本』:で、急に話題を転ずるようだけど、映画の中で心理学者が学生に人生ゲームをやらせたエピソードが出てくるのね。学生を富裕層チームと貧困者チームとで分け、前者は後者より初期資金を倍渡し、サイコロも2倍触れるように優越的にルール設定する。#fr20_n
— 義忠@C98月曜 南ウ40「物語工房」 (@yoshitada_n) 2020年6月7日
『21世期の資本』:それでゲームさせると、貧困者チームはリスクを犯せないので選択が萎縮しがちで、富裕層チームはリスクを恐れず大胆な行動に出て、それ故に資産形成の成功率が高まるという。そこまではいい。問題はそのルールがプレイヤーに与える心理的影響だ。#fr20_n
— 義忠@C98月曜 南ウ40「物語工房」 (@yoshitada_n) 2020年6月7日
『21世期の資本』:富裕層チームのプレイヤーは、優越的に設定されたルールがプレイヤー自身の才能や実力によるものと判断し始め、資産形成に手間取る貧困者チームを見下し、人格的に低く評価し、言葉遣いも侮蔑的になるという。それはプレイヤー本来の出自の貧富に関係なく、発生する。#fr20_n
— 義忠@C98月曜 南ウ40「物語工房」 (@yoshitada_n) 2020年6月7日
『21世期の資本』:これは、一体……。成上りの成功者の見せる、ある種の人格の下品さとか酷薄さは、本人の資質というより、ポジションにより形成されている側面があるということか。逆に累代の名家出身者に上品で穏健な人が多い印象なのも、あれもそうでないと生き延びれなかったとかいう。#fr20_n
— 義忠@C98月曜 南ウ40「物語工房」 (@yoshitada_n) 2020年6月7日
『21世期の資本』:まあ何にせよ、人は自分の意志だけで生きているつもりでも、かようにマクロな経済サイクルや変動に振り廻され、心の在り様すらも置かれた状況に支配される。自分だけそこから無縁でいられると考えるのは不遜ではあろうが、しかし時折立ち留まって考えることは必要だろう。#fr20_n
— 義忠@C98月曜 南ウ40「物語工房」 (@yoshitada_n) 2020年6月7日
『21世期の資本』:己の来し方行く末を振り返り、自分を圧し流すこの潮流の先に何があるのかをすがめ見る。その流れの中で、「私」は何を為すべきか。何を為すことが「私」であることなのか。そうしたことを、足掛け300年の経済史を総括するこの映画を観ながら考えてみるのも悪くはないですよ。#fr20_n
— 義忠@C98月曜 南ウ40「物語工房」 (@yoshitada_n) 2020年6月7日