積読日記

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義忠『棺のクロエ1.5 花嫁強奪』第5回

 
 山々に囲まれた〈王国〉の王族の中でも、自分は山には親しんできた方だとの認識はあった。
 だが、それでも本格登山となれば話は別だ。ましてや冬山登山など、思いつくだけでも周囲から全力で阻止されていただろう。
 それ以前に、今日の午前中にはウエディングドレス姿で気の進まない結婚に悩んでいた自分が、こうして夕暮れ迫る山中をスノーシューズでざくざくと雪を踏みつけているとは思いもよらなかった。
「人生は意外性に満ちてるということでしょうか」
「……どの口で言ってるの、貴方?」
 少なくとも、今日一日のフェリアの人生の意外性は、すべて眼前のとぼけた軍人からもたらされたものだった。
 山小屋を出て二時間弱、早くもフェリアは息が荒くなっていた。
 ある程度、覚悟していたとはいえ、山歩き(トレッキング)とは体力の消費が桁違いだった。いや、それ以前に、ペースも速く、加えて少佐のルート取りがかなり無茶だった。急な斜面でも迂回せず強引に登ることも珍しくなく、ついてゆくのがやっとだ。
 恐らくはちょっとでもルートをショートカットして時間稼ぎしようとしているのかもしれない。だが、これでは逆効果だ。このままではすぐにへばって潰れかねない。
 もっとも、保温瓶ひとつくらいしか持ってないフェリアより、自動小銃軍刀(サーベル)を始めとして、荷物のほとんどをひとりで背負い込んでいる少佐の方が、はるかに体力は消費しているはずだった。しかも、時折、フェリアよりずっと先まで先行していたかと思うと、逆に後方に廻って彼女の背中を押したり、さらに後方で痕跡を消したりと常に動きまわっている。それでいて、呼吸が荒くなるわけでもなく、汗ひとつ浮かべているわけでもない。どこまでデタラメな体力の持ち主なのだろうか。
 悪態のひとつも付きたいところだったが、そんな余裕もなくなりつつあった。
 とは言え、こちらから休憩を申し出るのも業腹だった。プロを相手につまらない意地を張っていることは自分でも承知の上だったが、また少佐のあの澄ました表情で見下されるのは嫌だった。それを思えば、どうせ最後は自ら口にせざるえないにしても、あと一歩、もう一歩でも先に進んでからと足を前に踏み出してしまう。
 周囲は雪に覆われた冬枯れの森。冷たく澄んだ空気。低く垂れこめた灰色の雲の下、四方を峰の高い山々に囲まれ、遠くには、森林限界より上の高度に露出した岩肌をカンバスに、雪と陰の極端なコントラストが描き出されている。神々のおわしまします天空の座──地上にいては決して得られない、幻想的な景観だった。
 こんな時でもなければ、時折足を留め、その美しさに酔いしれてもいい眺めだ。
 なのに前を行く男の広い背中を睨みつけて、足を無理やり前に押し出すことだけしか頭に浮かばないというのは、どうにも人生の無駄遣いにしか思えない。
 それでもさすがに限界を覚えかけた時、不意に少佐が足を留めた。
「止まって」
 こちらの消耗に気付いたのだろうか。感謝より先に意地の方が口に出た。
「……まだ、大丈──」
「ここを動かないでください」
「?」
 フェリアが疑問を口にするより先に、少佐は背中のザックを下ろすと、背負っていた自動小銃を正面に構え直し、銃口を覆う雪除けのカバーを外した。次いで腰の軍刀(サーベル)を背中に廻して、紐でしっかりと結び直す。
「何を──?」
「ちょっと『戦争』をしてきます」
「は?」
 
 あっけに取られるフェリアを置いて、少佐はさっさと斜面を登ってゆく。まるで羽でも生えてるかのような軽やかな足取りだった。それを見る限り、さっきまでの強行軍も、この男にはこちらに合わせてかなりペースを落としていたことになる。
 ──勝手になさい!
 取り残されたフェリアは、不貞腐れるように近くの木に背を凭(もた)れた。
 そうやってしばらく息を整えている内に、少佐が最後に残していった台詞が気になった。
 ──「戦争」……?
 敵が来たのか──いや、そもそも「敵」とは何だ? 誰のことなのか?
 ここまでフェリアを追って、警告ひとつ投げかけるでもなく銃撃を加えてきたのは──少佐の説明が正しければ、だが──いずれも王室鎮護の藩屏たる親衛隊の隊員達だ。いや、それ以前に彼等は〈王国〉臣民で、それを迎撃し、容赦なく殺戮してのけたのは、外国人である〈帝国〉軍人の少佐だ。
「王女」としての自分は、無邪気に自分の命が助かったことを喜んでいられる立場ではない。
「立場」、「立場」、「立場」、…………。
 ──何をやってるのかしら、私は……?
 空を見上げれば、針葉樹林の細い木立の合間から音もなく雪が舞い降りてくる。先ほどより、やや降り方が強くなっているような気がする。下手をすると、夜半には吹雪いてくるかもしれない。
 舞降る雪の始まりの一点を見定めようとするかのように、雲に覆われた低い空を見上げる。
 いや、あの変な軍人に振り廻されている今のこの身だけの話ではない。
 この数年、「王女」としての「立場」が指し示す振る舞いを、「そう在るべき」と周囲から求められる振る舞いだけを重ね、そのひとつの集大成として今日の結婚式があった。
 そして、これからも同じような日々を重ねるつもりだったのか。
 たぶん、そうだ。何も考えない、考えることから逃げ続ける毎日がこれからも続いてゆくはずだった。
 自分が為すべきことは、すべて「立場」が教えてくれる。それに従っていれば、いつだって正しくて間違っていない──そのはずだった。
 それが、物の見事に吹っ飛んで、雪の山中を国境目指して歩いている自分がいる。
 今の自分の「立場」とは何だろう?
 いや、自分が「王女」という「立場」だからこそ、あの〈帝国〉軍人は自分をこうして連れ廻し、国境の外まで連れ出そうとしている。そこでまた「王女」としての役割を果たさせようとしている──〈帝国〉にとって都合のいい形で。
 勿論、それが〈王国〉にとっても正しいことなら、別に拒絶しなければならない謂われはない。コープ少将の傷ついた魂の鎮魂のためだけに、国土を戦場と化すわけにはいかない。偏狭なナショナリズムに拘って、〈帝国〉の力を借りることを躊躇うつもりはない──「王女」たる「立場」の自分の判断として、たぶんそれは間違っていない。
 フェリアは眉を寄せた。
 何だろう。
 正しいはずなのに、間違っていないはずなのに、大切な何かがごっそり抜け落ちているような気がする。何かを忘れているような気がする。
「……『高貴なる者の義務(ノーブレス・オブリージュ)』……」
 呟いてみる。そう言って自分の前から去った彼は、戦場へ征くことの意味をそう語った。〈帝国〉皇族としての「立場」がそう言わせたのか。その言葉を、口にするとき彼はどんな気持ちだったのだろう。婚約者である自分の前で、その言葉を口にしたとき。
 そう言えば、その言葉を聞いた時、自分は何を感じていたのだろう。どう思ったのだったか。
 よく思い出せない。思い出せない。思い出せない。
 違う。
 思い出すのが、怯い……!
 心臓を鷲掴みにされるような恐怖にフェリアが襲われたその瞬間──
 遠くで銃声が鳴った。
 
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