積読日記

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義忠『王子様とアタシ』第1回

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 ぼろ雑巾に重油を染み込ませたような、校了明けの重い身体を引きずって、アタシは朝の改札へと漂うように近づいてゆく。
 疲れた。疲れきっていた。
 月刊誌の宿命として、月に一度の毎度の苦行ではあったが、今回は半端じゃなかった。フリーのライター三人使っての一二頁の小特集。楽勝のスケジュールで臨んだはずが、外タレの版権画像の使用に本国のエージェントが噛みついてきたのがケチのつき始め。国内のプロダクション経由では埒(らち)があかないので、ブロークンな英語で国際電話の向こうとやりあい、何とかそれを丸め込んだと思ったら、今度はライターのひとりが「サバンナにアフリカ象を見に行きます」などというふざけた書き置きメールを残して失踪。翌日、成田の出国ロビーで家出中学生みたいにめそめそ泣いてる三十路男を発見するや、首根っこを引っ掴んで編集部に駆け戻り、たっぷりと脅して賺(すか)して締め上げて、隅の空いてるデスクに文字通りビニール紐で縛りつけて厳重監視下に置き、ひと安心──と思いきや、その隙に、担当を任されてるオヤジ向けの連載エロ小説が、何やら発行元の出版社の役員の逆鱗の触れたらしく、急遽、連載中止が決定していた。
 メタボを気にする中年太りの塾の教師が、生意気盛りのいたいけな女子中学生達にアンなことやコンなことをされるというどこまでもしょうもない話だったのだが、どうもヒロインのひとりがその役員の娘だか孫だかと同姓同名だったのがまずかったらしい。作家と一緒にノリノリで企画を立ち上げ、担当をアタシに押し付けるに当たっては、ニヤつくその面(つら)そのものが紛れもないセクハラだったハゲ編集長は、発行元に一片の抵抗も行うことなく、後始末だけアタシに投げて寄こした。勿論、この業界、発行元の出版社の前に雇われの編集プロダクションごときの発言力など無きに等しい。ましてや、編プロ内での編集長と契約社員の関係は言うまでもなく、編集長はアタシに作家への打ち切りの通告と空いた紙面八頁分の穴埋めの任務をしれっとした顔で命じてきた。どうせアンケートも振るわなかったし、話のあまりのくだらなさに辟易してたので、打ち切りそれ自体に抵抗はない。だが、唐突にすかっと開いたこの真っ白い八頁分の台割をどう埋めろと。
 殺す。いつか必ず、このスケベ狸を殺してやると、入社以来の三年の間に数十万回と胸で唱えたであろう呪阻の文句を、ここでも何度か繰り返しながら、作家宛のメール一本を書き上げて、それから思い当たるツテに片っ端から電話を掛けまくる。学生時代の友人の彼氏の知り合いの元カノの従兄弟(いとこ)というツテと呼ぶにはか細すぎる繋がりまで辿った結果、突然連載を打ち切られた作家から数十キロバイトに及ぶメールが帰ってくる頃には、何とかでっち上げた人妻実録浮気話の記事を台割に押し込む目途はついた。ちなみに作家のメールは目を通すまでもなく中身の見当がついたので、読まずに捨てた。どうせ女子中学生の上気した肌の描写に、自分がいかに文学的心血を注いできたかという、作品以上にしょうもない主張が詰まっているに違いない。ほとぼりが冷めたら、菓子折り持って顔を出して、適当に持ち上げてやればいいだろう。あんな作家の原稿でも、いざという時の誌面の穴埋めくらいにはなる。
 そんなことより、問題は時間だ。
 既に手持ちの仕事の予定はことごとく遅れている。印刷所からは探りの電話が掛かってくる。それを適当になだめつつ、作家やライター、DTP屋を叱咤激励慰撫恫喝を繰り返して原稿を上げさせる。勿論、自分で書く原稿だってある。「キリマンジャロの稜線に掛かる夕陽が……」などとまたしても遠い目で現実逃避を図るライターを締め上げる。こいつが今書かねばならない原稿は、九〇年代アイドルの特集記事だ。アフリカの大自然は関係ない。DTP屋が上げてきたカラー頁は、新人の連絡ミスで色味がずれていた。その色校直しを終えた土壇場で、広告原稿の差し替えが起こる。畜生、ありえない。更によりにもよって、フィルム出しの段階で致命的な校正ミスを発見。直す。直す。ひたすら直す。畜生。
 印刷屋との熾烈な攻防で寸秒刻みに入稿までのタイムリミットを稼ぎつつ、怒涛のごとく押し寄せる諸々のトラブルを端から薙ぎ倒し、ようやくのこと入稿までこぎつけて、輪転機を廻し始めた旨の電話が印刷所から入ったのが午前四時。つい一時間前まで殺伐とした会話を交わしていた印刷会社の担当者に嘘偽りのない心からの感謝の言葉を伝え、第一次世界大戦(WWI)の西部戦線のトーチカなみに社員、契約社員、アルバイトにライターどもの死屍累々たる編集部を後にして始発電車に飛び乗った。帰りの中央線から明けてゆく街並みをぼんやりと眺めているうちに、机に縛り付けたライターの紐を解いてやるのを忘れていたこと思い出す。……ま、いいか。
 毎度のことながら、校了までの数日間は、女を捨てた日々だった。前に風呂に入ったのはいつだったか。いや、その前に自宅に帰るのも三日振りだ。あれ、四日振りだっけ? 頭の中に朝靄(あさもや)のような霞(かすみ)がかかってよく思い出せない。
 ふと視線を向けると、改札横のキオスクが開店準備を始めていた。雑誌編集者の性(さが)で無意識の内に朝刊を買い求め、一面のヘッドラインを流し読みつつ、改札を抜ける。
『連続宝石強盗 時価総額五億円以上強奪!』『今月に入って三件目!』などという見出しが踊っている。
 ふ〜ん、という以上の感慨はない。年収三百万強、ろくに残業代もつかない労基法なんざ頭から無視の職場で働きながら、かつかつの生活を過ごす庶民には無縁の話だ。住民税も上がったしな。何より石くれに億単位の値をつけようなどと考える世界のことなぞ、想像もつかない。
 勿論、アタシだって女だから、誰かがくれるというなら、否やはない。もっとも、こんな上等な宝石をくれそうな知り合いには、生まれてこの方、さっぱり恵まれない身の上なので、妄想にもリアリティを欠くこと甚(はなは)だしい。
 どうせ今の自分には、同居人のゴクツブシがたまに持ってくる、安物のアクセサリくらいしか縁がないのだ。それとて、パチンコだかスロットだかの景品とバレバレで、あからさまにこっちの機嫌を取ろうとする見え透いた手口なのだが、それでもどれも捨てずにタンスの奥に仕舞いこんでいることは、本人には無論、言ってない。
 およそ経済的生産性にはまったく寄与しない無駄な二枚目面でへら付く同居人の顔を思い浮かべている内に、仕事明け特有のむらむらと立ち上がる性欲を意識してしまう。
 あー、帰ったら押し倒して一発キめて寝るか──と、そこで己の発想のダメさ加減に絶望的な気分に陥った。いや、勿論、二七歳にもなる成熟した女として、性欲を否定するつもりはさらさらない。疲労がピークに達した時に特有の生理的な現象であることも判ってる。しかし、それにしたって嫁入り前の娘として、もうちょっと表現の仕様ってもんがあるだろうと我ながら反省する。
 ……あぁ、いや、確かに、あの男がウチに転がり込んできて以来、校了明けにちょっと無理やり気味にコトを致してしまったのは、両手で効かなかったりするのも事実だが。
 それも涙目で下から無言で訴えかける年上の無駄な美形というシチエーションが妙にクるものがあり、何というか、こう、いつもより──
 いや、いや。そんなことを微に入り、細に入って思い出してどうする。
 まったく。自分で言うのも何だが、これでも可憐な文学少女だった頃だってあったのに。
 ま、就職活動で大手出版社に入り損ねて以来、せめて出版マスコミの仕事に関わりたいとあちこちの編集部に出入りしている内に、気が付けば風俗誌すれすれの三流オヤジ向け雑誌に腰を落ち着けて早三年目。いつの間にやら転がり込んできた男との同棲生活も二年を過ぎ、今更、清純派ぶるつもりもないが、どこでどう間違ってこうなってしまったのかと振り返りたい今日この頃ではある。
 やっぱ、あれか。中学の時に知り合った友達が悪かったのか。何でも恋愛話にこじつけないと物事を理解できないあの能天気なあーぱー女とつるんでる内にごっそり偏差値を落とし、あげくに「友情」のお題目に目が眩(くら)んで志望校のランクまで落としてまで高校進学につき合ってしまった辺りがやはり人生の分かれ道だったのではなかろうか。しかも当の本人は短大を出るなりとっととイケメン高収入の大手商社マンと結婚して、ついこないだなど旦那の赴任先のパリから今度二人目の子供が生まれる旨の絵ハガキを送りつけてきやがった。いや、だから、そんな話はどーでもいいから、旦那の同僚の独身男をさっさ紹介しろと何度言ったら判るのだ、あの女は。
 そんなことをふやけた頭でとりとめもなく考える内に、木造モルタル二階建て、築一五年のアパートにある我家に辿り着いた。一階のポストから不在の間に突っ込まれた手紙やらチラシの類(たぐい)をそのまま中身も見ずにバッグに放り込み、疲れた身体を押し上げるようにアパート脇の階段を上り、自分の部屋の鍵穴に鍵を突っ込む。
 鍵が開いている?
 またあのバカ、鍵も閉めずに寝てるのか、とちょっとムカつきながらドアを開ける。
 と、不意にまばゆい光に包まれ、アタシはとっさに目の前を手で遮(さえぎ)った。
「ちょっと……っ!?」
 カーテンも閉めてないの!?と怒りかけ、はたと我に返った。
 いや、確かにこの部屋は東向きで、今の時間に朝日が差し込んでも不思議はない。しかし、それにしたって明るすぎやしないか。
 やがて光に目が慣れ、ようやく部屋の状況を把握し──
 アタシはそのまま玄関先にへたれ込んだ。
「……やられた……」
 そこには、家財道具一式から絨毯、カーテンに至るまで、きれいさっぱりなくなったワンルームのアタシの部屋で、フローリングの床が朝日を弾いて輝いていた。
 
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